君のいた時を愛して~ I Love You ~
三十八
 時がたっても入院のための費用の工面はつかず、目に見えて具合が悪くなっていくサチの姿に、俺は必ず診察にはついていくようにした。
 移植を勧められるのが嫌で、サチは俺のことを中嶋先生に会わせないようにしていたが、移植のことも、症状悪化に伴う入院の話も、ある意味カタがついているということもあり、サチは俺がついていくことを拒まなかったし、実際のところ、最近のサチは一人での通院は難しくなっているというのが正しかった。

「どうしても、入院には同意してもらえませんか?」
 中嶋先生が言うと、敵を睨むようなサチの瞳にため息をついた。
「ご主人も、よく聞いてください。サチさんの病状は通院で済ませられる状態ではありません。このまま悪化すれば、ドナーが見つかっても移植もできなくなります」
 中嶋先生の言葉に、俺は絶句した。
 ドナーが見つかっても移植できなくなるということは、このままサチ病状は悪化していくだけで、もはや手の施しようがなくなるということだ。
 俺は体が震えそうになるのを感じると同時に、目の前がグラリと揺れたように感じた。
「大丈夫ですか?」
 中嶋先生に支えてもらい、俺は何とか態勢を整えた。サチを支えないといけない俺が、診察室で倒れるなんて無様なこと、あっていいはずはない。俺はぎゅっと拳を握り締めた。
「サチ、移植ができるように体調を整えておかないといけないから、やっぱり、入院した方が良いのかもしれない」
 俺はサチの怒りを恐れながらも言った。
「しばらく入院して、体調がよくなったら、また、一緒に暮らせばいいんだから」
 俺がサチを説得しようと試みるそばで、中嶋先生が無言で頭を横に振った。それは、一度、入院すれば、サチには移植を受けて退院するか、それとも、そのままになってしまうかの二択しかないということを意味していた。
 体が冷たくなっていくような恐怖が俺を襲い、俺はじっとサチの答えを待った。
 しばらくの沈黙の後、サチは『入院はしません』と毅然として答えた。サチの答えに、中嶋先生は少し俯いて考えこんだ。
「このままでは、サチさんの治療方針を移植のためではなく、ターミナルケアに変更することになります」
 中嶋先生の言葉は、俺にとって死刑宣告にも等しかった。それでも、サチは中嶋先生の言葉を冷静に、真剣に受け止めていた。
「サチ・・・・・・」
 俺が声を掛けると、サチは優しく笑って見せた。
「あたしは、コータと一緒に最期までいたい・・・・・・」
 サチに言われると、俺はそれ以上何も言うことができなかった。
 サチの命だからじゃない。痛みも、苦しみも、すべてサチが受けるものだから、これ以上長引かせたくないというサチの想いも、未だにドナーが見つかる気配もない中、それだけを頼みに俺と離れ離れになりたくないというサチの強い思いを否定することはできなかった。
「先生、ターミナルなんとかって、何をするんですか?」
 俺が尋ねるよりも前に、サチが中嶋先生に問いかけた。
「ターミナルケアというのは、最期(さいご)の時まで、可能な限りQOL(クオリティオブライフ)を大切にし、痛みや苦しみを緩和し、残された時間を有効に自分らしく生きるようにするための治療もしくは、緩和ケアというものです」
 若いサチを相手に『最期』という言葉を使いたくない中嶋先生の気持ちが俺にも伝わってきた。
「わかりました。ありがとうございます」
 サチは答えると、頭を下げた。
「ただ、一つだけ問題があります。この病院では、入院でのターミナルケアは行っていますが、訪問でのターミナルケアは行っていないので、紹介元のあおぞら内科クリニックでは訪問診療を行っていますので、佐伯先生に今後のケアをお願いすることになります」
「そうなったら、もう、移植はできなくなるんですか?」
 俺はすがるように問いかけた。
「サチさんの体力が持つ限り、ギリギリまで移植を待つことはできます。それは、ドナーが見つかった時のサチさんの健康状態次第です。望みを諦めずにドナーが見つかるのを待つことになります」
 優しい中嶋先生は、最後までドナーが見つかる可能性を否定しなかった。それでも、その瞳が可能性の低さを物語っていた。絶望する俺とは裏腹に、サチは毅然として、納得した表情だった。
「ありがとうございました」
 サチは丁寧に中嶋先生に頭を下げた。
「サチさん、本当に、入院せず、ターミナルケアに切り替えるのですか? 入院し、整った環境であれば、より長く移植の可能性を得ることができます」
 中嶋先生の問いに、サチは頭を横に振った。
「あたしは、コータと一緒に居たいんです。コータと一緒に居られないなら、死んでるのと同じです」
 サチの決断に俺は言葉を挟めなかった。
 サチには一日でも長く生きて欲しい。でも、ドナーが見つからないなら、それはただサチの苦しみを一日、一日と伸ばしていくに過ぎない。
「先生、どうしてなんですか?」
 俺の問いになっていない問いに、中嶋先生が俺のことを見つめた。
「だって、骨髄って、肝臓とか、腎臓とかと同じで、相手の命を奪わなくても貰うことができるものでしょう。なんで、相手の命を奪わないで済むのに、こんなに、こんなに、ドナーが見つからないんですか・・・・・・」
 言葉の最後の方は涙でくぐもった声になっていった。
「お気持ちはお察しします。近い肉親を亡くしたことのない私には、おこがましくて、お気持ちがわかりますとは言えません。おっしゃる通り、骨髄移植は、移植中では、ある意味一番ドナーの負担が軽いとも考えられます。開腹手術をするわけでもありませんし。でも、こればかりは、現代医学では骨髄移植の他に治す方法がないんです」
 中嶋先生は言うと、俺に深々と頭を下げた。
「すいません。先生が悪い訳じゃないのに、いままで、ありがとうございました」
 俺は頭を下げると、立ち上がってサチを支えて立ち上がらせた。
 二人で頭を下げながら診察室を後にした。
 別れ際、中嶋先生は何か言いたげな表情を一瞬浮かべたが、何も口には出さなかった。
< 138 / 155 >

この作品をシェア

pagetop