君のいた時を愛して~ I Love You ~
十四
俺とサチのクリスマス・ディナーは、さすがにクリスマス・イブもクリスマス当日も外しているため、メニューもクリスマスではなく、通常のコースメニューでクリスマス気分を味わえるのは赤と緑を基調とした店内の飾りだけだったが、カップルという事らしく、テーブルの上に一輪飾られた真紅の薔薇が上品さをテーブルの上に落としていた。
 久しぶりのリクルートスーツにサチから貰ったネクタイをすると、驚くほどリクルート感はなくなった。サチもいつものラフで体の線のぼやけた普段着からワンピースに着替えてパンプスを履くと、どこのお嬢様と言った雰囲気だった。
 俺の朴念仁ぶりを既に良くわかっているサチは、予約の時にコースも決めておいてくれたので、俺の悩みはワインを選ぶことだけになっていたが、それもお店に入る前に、『グラスでハウスワインの赤と白を注文する』というメモ書きを渡されていたので、ウェイターじゃなかった、ギャルソンがテーブルにワインメニューを持ってきたタイミングで、パラパラと頁を軽くめくってから、お肉と魚に合わせて、ハウスワインの赤と白を持ってきてもらうように注文することができた。
 実際、分厚いワインメニューは横文字ばかりでどれがどれだか分からなかったし、デフォルトらしく持ってこられた水は普通の水ではなく、炭酸水だった。
「これ、ただの水じゃないよな?」
 俺は水一杯いくらするのだろうと、不安になって囁き声でサチに問いかけた。
「当たり前じゃない。どうみても、スパークリングだよ」
 サチは俺の真意に気付かなかったのか、それとも、わざと気付かないふりをしたのか、何気ない様子で水のグラスに口をつけた。
「なんか、小さな粒粒の泡が舌の上でぱちぱちはじけるよ」
 楽しそうに言うサチに、俺も水のグラスに口をつけた。
 最初、口に入れた瞬間は何ともない水のような、少し炭酸が弱いのかなと思ったが、水を飲みん混んでみると、サチの言ったように、舌の上で水がはじけるように小さな泡がはじけて行く感じがとてもさわやかだった。
 オードブルが運ばれてきて、俺とサチはドキドキしながら一番外側に並んでいるフォークとナイフを手に取った。
 銀製の重いフォークとナイフが美しい食器にぶつかる音がやけに大きく感じられ、俺は必死に音を立てないように無我夢中でオードブルを一口大に切ろうとした。
 形を崩さないように注意しながら、まるで自動車工場で働いていた時のように、真剣な瞳でオードブルに向き合っていると、向かいでサチが笑いだした。
「コータ、真剣すぎ!」
 どうやったのか、既にオードブルの半分を平らげているサチを軽くにらんでから、俺はゆっくりと確実にゼリーっぽい柔らかい上部を丁寧に半分に切り、厚く固い底辺に挑んだ。
 次の瞬間、ガチンという激しい音が響き渡り、俺のナイフが皿に激突した。
 店内のすべての視線が自分に向いたような気がして脂汗が流れて行く。
 しかし、少し大きめの音楽のせいか、それとも皆自分たちのこと以外に興味がないのか、誰一人俺の方を見ている客はいなかった。
 俺はホッとしながら、激しい音を立てて皿の上で真っ二つに切り別れたオードブルをフォークで刺し、ナイフで支えながら口へと運んだ。
 慣れないことに両手が緊張で震え、今にも皿の上に落下しそうなオードブルをアシカよろしく半ば空中キャッチで口に入れると、柔らかいゼリーとその中に入っていた野菜やハーブを下の上に感じたが、緊張のし過ぎなのか味は全く分からなかった。
 何とかオードブルという試練を乗り越え、次に訪れたスープは楽勝に思えた。
 単に、音を立てずに飲めばいいわけだから、そんなに苦労はないと高をくくっていたが、実は、更に残った救えないスープを飲むのに四苦八苦したし、深いスプーンで沢山すくうと、口に運ぶ前にぼたぼたとスープがこぼれ、俺は再び冷や汗をかくことになった。
 肉料理はカモのローストで、俺はてっきり骨付きのフライドチキンの鴨版が出てくるのかと思いきや、スライスされた鴨が可愛く並んで出てきた。その鮮やかな紫色っぽい赤と、外側のローストされた茶色のバランスがとても美しく、俺はしみじみといつもの自分の食生活を思い出してしまった。
 こんな色とりどりのお洒落で、綺麗な食事が当たり前だと思っている人からしたら、俺はもしかしたら、人間には見えないのかもしれない。
「どうしたの? ワインに酔った?」
 じっと鴨を見つめる俺に、サチが声をかけた。
「あ、まだワイン飲んでない・・・・・・」
 俺はごまかすように笑って言うと、グラスに手を伸ばした。
「赤ワインは思ったよりも渋みが強く、強烈に舌を刺した」
「ここの赤ワイン、渋いね」
 サチも同じことを感じたようで、半分程度になったグラスをテーブルに戻しながら言った。
「なんか、コータ、すごい静かで無口」
「当たり前だろ。緊張するし、失敗しないか不安だし、味わって会話しながら食べられるほど器用じゃないんだよ」
 俺は言ってしまったから、サチに幻滅されたらどうしようと、不安になった。
「大丈夫。私も似たようなものだから」
 サチは笑ってそう返した。
 これが美月だったら、俺は絶対に弱音なんて吐かない。なぜなら、社長令嬢の美月にしてみれば、この程度の外食は年に一度の素晴らしい事ではないから。家族の誕生日やクリスマス、一年に何度もこの程度の外食は家族でしていて、俺がそんな弱音を吐いたら、一瞬で美月は俺に幻滅すると分かっていたから。それなのに、サチが相手だと、不安にはなっても、本当の自分でいることができる。
 もしかしたら、サチもそうなのかもしれない。
 俺たちが鴨肉を平らげると、小さなシャーベットが運ばれてきた。
 まだ魚が出るはずなのに、デザートは早すぎる!
 俺が思わずウェイターじゃなかった、ギャルソンを呼び止めようとすると、サチが無言で頭を横に振った。
「これは、舌た安めだよ。デザートじゃないの」
 サチの言葉に、俺はサチの博識に感心してしまった。
「もう、コータったら、運んできたお兄さんが言った事聞いてなかったの?」
 言われてみれば、店に入って、ワインをオーダーして以来、緊張のせいかサチの声と音楽以外聞こえていない。もしかして、えっと、ギャルソンは料理の説明とかしていたのか・・・・・・。
 俺は飲みなれないワインのせいか、うっすらと額に浮かんだ汗を手で軽く拭い、シャーベットを口に運んだ。
 シャーベットが下げられ、魚料理が運ばれてきた。
「ドーバーソールのムニエルでございます。小骨が多いので、ご注意ください」
 確かに、料理の説明がされていた。ところで、このなんちゃらソールって、なんだ?
 俺は更にドーンと横たわる白い魚を見つめながら、この魚は何だろうと考えた。うーん、カレイじゃないよな、だとしたら平目か?
「下平目だよ」
 俺の考えを読んだように、サチが言った。
 俺は、今晩何度目かの感動を覚えた。サチは、あのなんちゃらソールが平目だと知っていたのだ!
「だって、メニュー確認した時、そういわれたもん」
 そして、俺は今日何度目かの、なんだそうだったのかという変な安ど感を覚えた。
 注意されただけあり、平目の骨は多く、残さない主義の俺もあまりの骨の多さに途中でギブアップすることになった。
 フランス料理を食べて、平目の骨をのどに刺しても、飲み込むご飯を貰えるとは思えなかったからだ。さすがに、フランスパンを丸呑みする勇気はない。絶対、骨を外す前にどっかに詰まって救急車行だ。
 魚の後に運ばれてきたチーズに、俺は目を丸くしながら、飲むのを忘れていた白ワインのグラスに口をつけた。
 日頃飲まないせいか、ワイングラスではなく、自然と手は水のグラスに伸びてしまう。何杯目かの水のお代わりを貰い、肝心のワインは全く減っていない。
 以前、なんかの雑誌だったか、番組で、ワインとチーズと言っていたが、白ワインとチーズのどこが合うのか、どちらも口にし慣れない俺には分からなかった。
 チーズが下げられると、おもちゃのカップのような小さなコーヒーカップとデザートが運ばれてきた。
「あ、エスプレッソだ・・・・・・」
 サチは言うと、小声で『これ苦いんだよね』とこぼした。
 サチの言った通り、コーヒーは濃く、とても苦かった。それを補うためか、恐ろしいほど甘い、砂糖の塊のようなクリーム・ブリュレなる暖かいカスタードクリームのグラタンのようなものとコーヒーを交互に食し、俺は何とかどちらの難しいミッションもクリアーした。
 さすがに、甘すぎたようで、サチはデザートもコーヒーも残していた。
 それから俺とサチは、甘さと苦さを洗い流すように炭酸水をお代わりして飲み、席を立った。
 会計で俺が財布を出そうとすると、サチが『あなた、ここは私が』と言ってレジに向かった。
「えっ、良いのか?」
「私が大蔵省ですから」
 サチは主婦っぽく言うと、手早く会計を済ませた。
 丁寧にドアーを開けてくれるギャルソンに見送られ、俺とサチは店を後にした。
 ビルの谷間を吹き抜ける風に追い立てられるように、俺とサチは慌てて地下鉄の駅の階段を駆け下りた。そして、地下鉄のホームまで行ってから、俺もサチも、突然声を上げて笑い出した。
「もう、コータったら、笑っちゃう! あんな真剣な顔して料理を見る人初めて見たよ!」
「サチは物知りだと思ったら、全部、聞いたままだったんじゃないか、俺は自分だけ教養がないのかと、焦りまくったんだぞ!」
 お互いに、ほぼ無言で食べ続けた時間を思い出すと、楽しさや、美味しさではなく、滑稽さに溢れた時間だったことが分かった。
「やっぱり、あたしたちには、あーゆーの向かないね」
「サチの為なら、年に一回くらいはいいけどな」
 するりと本音がこぼれた俺をサチが見つめる。
「それって、来年のクリスマスも一緒に居て良いってこと?」
「当たり前だろ。なんで、俺とサチが別れる必要があるんだ?」
 俺の言葉に、サチが俺に抱き着いた。
「ありがとう、コータ。すごいクリスマスプレゼントをありがとう。あたし、これを思い出にして、コータの部屋を出て行こうと思っていたの」
「なんでそんなことを?」
「コータの重荷になりたくなかったから。コータに他に好きな人が出来た時、あたしが居たら困るでしょう。だから・・・・・・」
「バカだな、サチ。俺が好きなのは、サチだけだよ」
 結局、俺はサチに『愛している』という事が出来なかった。
「コータの好きが、ただの好きじゃなくて、特別な好きで良かった」
 俺はしっかりとサチを抱きしめた。
 年末ヘのカウントダウンが始まった都会の夜は、まさに師走で、誰一人抱き合う俺とサチに注意を払うものは居なかった。
 抱き合う俺たちの脇を何本もの地下鉄が滑り込み、その扉を開き、また閉め、走りすぎて行った。
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