君のいた時を愛して~ I Love You ~
十五
「ねえ、ベッド買い替えようか?」
 名ばかりの台所で夕食の後片付けをしていたサチの言葉に、俺は驚いて頭を上げた。
「だってさ、最近、マットレスのスプリング痛いじゃない」
 サチに言われ、俺はボロボロになっているマットレスを見つめる。
 二人で寝るようになってから、多分重量オーバーなのだろうが、裏側からしか飛び出していなかったはずのスプリングの一部が、表面からも飛び出しそうにマットレスの布を持ち上げている部分が何か所かある。たぶん、サチが言う通り飛出してくるのは時間の問題だろう。
「もし、コータが嫌でなかったら、あたし、ベッド買い替えたいな。というか、マットレスだけでもいいんだけどね」
 サチの言葉に、俺は連日のしめ縄と正月飾り売りで冷えた体をさすりながら、いっそ布団を二人分買った方が良いのではないかと考えた。
 本当のところ、クリスマス過ぎての二人だけのクリスマス・ディナーでしっかりとお互いの気持ちを確認しあった俺とサチだったが、だからと言って何かが変わったわけではない。ただ、お互いの体温を貪るように互いの体をしっかりと抱きしめあい、毎晩眠る事に変わりはない。
 美月との手痛い失敗のせいで俺が去勢されてしまったのか、それともサチは言葉や抱きしめあう以外に互いの愛を確かめ合う方法を知らないのか、俺たちの生活は愛に満ちてはいたが、完全にプラトニックを貫き通していた。
「それなら、布団を二組買った方が良くないか?」
 俺からすれば、ベッドだのマットレスだのを買うよりも、何となく布団を二組買う方が値段的に財布に優しい気がするのは、もしかすると男の浅知恵なのかもしれない。
「だって、二組も布団を置く場所ないし、それにこの部屋に二組も布団引くと毎日大変だよ」
 サチの言う事はもっともだった。
「でも、ベッドを買い替えるっていうのはなぁ・・・・・・」
 決して、この味気なく、ところどころに錆の出ているボロいベッドに愛着があるわけではない。しかし、このベッドだって、捨てるとなればお金がかかるし、やはりサチの為を思えば、それなりに良いものを買ってやりたいと思うが、何時まで経っても先の見えない俺の経済状況は、どんな時でも買い物に対して俺を消極的にする。
「実はね、すごいお買い得なの身つけたんだ」
 サチは言うと、近くにあるリサイクルショップのチラシを俺に手渡した。
「新品同様、シングルベッド、リフトアップ収納付き。いまなら、新品の毛布と掛布団をプレゼント・・・・・・」
 それは、まるで詐欺みたいにお得な宣伝文句の羅列だった。
「リフトアップ収納って・・・・・・」
「それね、マットレスを置く台が上に跳ね上がって、マットレスの下の部分が全部収納に使えるの」
 サチの言葉から、既にサチは現物を見てきているのだと俺は察した。
「それでね、高さとしては、今のベッドよりも高くなるの」
「それ、おちたら痛い高さってことか」
「おちないよ、私とコータなら」
 まあ確かに、いまのオンボロなベッドからもどちらかが転落する事故はいまだに発生していない。
「でも、新品の掛布団と毛布なんておまけでつけてくれたら、すぐに売れちゃうだろう?」
「そう思ってね、お店のお兄さんに、二日だけ待ってもらうようにお願いしたんだ」
 サチの言葉に、俺はベッド買い替えは既に決定事項かと、息を飲みこんだ。
「実はね、この宣伝チラシの宣伝文句を一緒に考えてあげたんだ。それでね、このチラシを配るまでの間、倉庫にベッドを隠しておいてくれるようにお願いしたんだ」
「サチ、すごい才能があるんだな」
 見るだけで欲しくなりそうな色々な宣伝文句に目を走らせながら、俺はサチの才能に感動した。
「ほら、私よくお店を見に行くじゃない。洋服とか、いろいろ。それでね、お兄さんって言うのは、お店をやってるおばさんの息子さんらしいんだけど、在庫を何とかしたくて、チラシ作りに困ってるって聞いて、一度そういうお仕事してみたかったから、お手伝いさせてもらったの」
 生き生きと話すサチは、もう俺と出会ったころの捨て猫のように脅えて、何もかもから自分を隠そうとしていたサチではなく、自分のやりたいこと、好きなこと、そう言ったことをどんどん見つけていかれる逞しさを兼ね備えていた。
 もしかしたら、サチにとって、俺はもうすぐ必要のない人間になってしまうのではないだろうか、突然、そんな不安が俺を襲った。
 お互いの気持ちを確かめ合ってさえ、未だに愛していると言えないような男に、サチのように誰からも好かれる女性が愛想を尽かしてもおかしくはない。本当なら、あの晩、あの長い口づけの後、俺はサチに愛していると、伝えるつもりだった。それなのに、いざその言葉を口にしようとすると、俺の喉は鉛を詰め込まれたようになり、結局、サチの『私が愛しているのはコータだけだから』という言葉に答えることすらできなかった。
 俺は臆病で、未だに失う事を恐れている。
 俺が美月を失ったのは、どれほど待っても美月が望んでいるような家庭を持てない男だと、美月に愛想を尽かされたのだと分かっている。美月は社長令嬢で、お嬢様で、俺のような日雇いのように簡単に仕事を失うような男と釣り合う女性じゃなかったのだと、自分でもよくわかっている。きっと、この生活を見たら、美月は部屋にすら上がらないだろう。
 でも、サチは違う。同じ職場で昼は働き、この狭い部屋でうまく暮らしている。そう、それは、俺とサチが同棲ではなく同居しているからだ。もし、二人の関係が進展して、同居では無く同棲になったら、サチが変わってしまうのではないだろうかと、こんな先の見えない暮らしでは結婚しても子供も持てない。その事を苦にしていつかは出て行ってしまうのではないかと、俺は今も脅えている。
 一歩踏み出すことが、この関係の終わりに向かう道につながるのではないかと。
「あれ、コータ、値段きかないの?」
 じっと押し黙って考え続ける俺に、サチが明るい声をかけた。
「いや、値段を聞いても訊かなくても、既に買うのは決定かなと思って・・・・・・」
 俺が言うと、サチは頭を横に振った。
「決定じゃないよ。私は気に入ってるけど、コータが見て気に入らなかったら止めるし」
「でも、そのお店の人はサチが買うと思っているんじゃないのか?」
 ある意味、見え透いていて、簡単な下心の現れ。気になる女性に欲しいものを値引きする。俺は、相手が店のリピーターであるサチに下心あっての事と、ある意味勝手に思い込んでいた。
「違うよ、コータの部屋に置くって話してあるもん」
 サチは、当たり前といった調子で言う。
「それ、友達の家って言ったのか?」
「違うよ、コータの家って言ったの」
「いや、だから、店の人は俺の家って言っても、意味が分からないだろ」
「そんなことないよ。おばさんに、路頭に迷ってるところを優しいコータに拾ってもらって、コータはすごい紳士で、下心とかないし、本当に楽しく幸せに一緒に暮らしてるって説明したもん」
 サチの発言に、俺は驚いて目を見開くと、サチの事まじまじと見つめた。
「サチ、俺のとのこと、近所で話して回ってるのか?」
「まさか! おばさんにだけだよ。そうしたら、おばさんが、お兄さんに私には彼氏がいるから口説いても無駄って、言ってくれたんだ。だから、お兄さんは詳しいこと知らないけど、コータの部屋って言うのが、私の彼氏の部屋だってことは知ってると思う」
 笑顔で話すサチは、本当に楽しそうで、幸せそうだった。
 そうだ、俺は、このサチの笑顔で癒されていて、俺は卑怯にも愛の言葉をささやくことすらできないのに、毎日サチの愛で支えられているんだ。
「じゃあ、明日はもう大将の所の仕事がないから、スーパーの仕事に入る前に見に行くか」
「本当?」
 サチの顔がさらに輝く。
「あ、でも、行く前に値段は教えておいてくれよ。行ってから驚くのは嫌だから・・・・・・」
「大丈夫。いいベッドだけど、なんと一万三千円だって!」
 あまりの値段の安さに、俺は一瞬不安になった。
「サチ、もしかして、そのベッド、前の持ち主がそのベッドの上で死んだとか、孤独死して白骨死体になった老人の持ち物とか、ヤバい曰くつきの品物じゃないよな?」
 ただ貰う物には文句はつけない主義だが、さすがに、お金を出して買うとなれば、それなりにチェックしておきたいポイントだ。
 マジで、可哀相な老婆が白骨で横たわっていたベッドの上にサチと毎晩寝るのは気が進まない。
「あー、それはないんだけど、売りに来た男の人が、別れた元カノが置いていったベッドだって話してたってのは聞いたよ」
 それほど壮絶でもなく、よくありそうな話だったので、俺は快くサチと明日店に行く約束をした。

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