君のいた時を愛して~ I Love You ~
十六
新しいベッドで目覚めた新年は、いつもより温かく、安らいだものだった。
 大みそかの日、仕事から戻り急いで夕食を食べた俺とサチは、近くの神社に除夜の鐘を聞きに行き、そのまま新年の初詣を済ませた。お互いに押しつ押されつしながら参道を進みながら、あれこれと願い事を考え、俺は物心ついてから初めて賽銭を勿体ないという罰当たりな考えを抱かないまま賽銭箱をめがけて投げた。
 俺より長く願い事をしていたサチに、何を願ったのか聞きたかったが、俺は自分の願いを胸に、サチに導かれるままおみくじの列に並んだ。
 俺のは中吉で、意味深な言葉といえば、恋愛は困難を乗り越えれば成就するというものと、失せ物が戻るというもので、他はとくに当てはまるような、当てはまらないような、意味が分かるような、わからないような内容だった。
 しかし、サチはおみくじを開くなり、『凶』の字を見るとおみくじをぐしゃりと握りしめ、ポケットに突っ込んでしまったので、それ以上何が書いてあるのか見せては貰えなかった。
 それに、新年早々『凶』なんて縁起が悪いからと引き直しを勧めたが、サチは何も言わず固い表情で頭を横に振るだけだった。
 そんなサチを心配しながら俺たちは部屋に戻り、どちらからというわけでもなく、いつもと同じように、何となくベッドに入って眠りについてしまった。
 実際、リサイクルショップに行った晩にはベッドが運び込まれていたり、驚くことの連続だった年末が終わり、新年が訪れたという感覚は、正直俺にはなかった。
 でも、こうして静かな朝に目覚めると、世界がいつもと違う気がした。
 いつもなら、出勤するサラリーマンや通学の学生や生徒たちの通る音や、生活感を感じさせる音であふれている朝が、静まり返り、だれもがひそやかにおめかししているような、ちょっと神聖な気配さえ漂う朝が広がっていた。
「あれ、コータ起きてるの?」
 俺が目覚めているのに気付いたサチが、少し驚いたように声をかけてきた。
「なんとなく、世界が静かすぎて目が覚めた」
 俺が言うと、サチも静かな気配を感じているようだった。
「ねえ、もし、この世界からあたし達以外の人間がすべていなくなっていたら、コータどうする?」
 サチの問いに、俺は『それは困るなぁ』と反射的につぶやいた。
「どうして?」
 不思議そうに、サチが俺のほうに向きなおって問いかけてきた。
「だって、そうだろ。俺、まだ先月の給料、スーパーから貰ってないし」
 俺が真剣に答えると、サチは声を出して笑い始めた。
「もう、コータ、面白くないなぁ。あたし達以外の人間がすべて消えた世界じゃ、お金なんて何の意味もないじゃない」
「そうか」
 俺は答えながら、考え込む。
「やっぱり困るな。電気も水道も使えなかったら、食事もできないし、銭湯があかないと風呂にも入れない」
 俺の返事に、つくづく愛想が尽きたと言わんばかりに、サチが大きなため息をついた。
「わかった。もういいよ。コータの考えは、よくわかったから」
 サチは言うなり、ぐるりと体を回して俺に背を向けた。
「サチ、どうしたんだよ」
「どうせ、コータのことを好きなのは、あたしだけだから。たとえ、世界にあたしとコータの二人きりになっても、あたし達はアダムとイブにはなれないって、よーくわかりました」
 サチは言うと、俺を拒むように体を丸めて見せた。
「サチ、ごめん。そんなつもりじゃないんだって。そういう意味だとしたら、俺はこの世界に残させた相手が他の誰でもサチだったことがすごく嬉しい」
 俺が素直な気持ちを言葉にすると、サチが一言『コータの天然ジゴロ』とつぶやいた。
「サチ、俺のどこがジゴロなんだよ。自慢じゃないけど、俺、交際した女性の数は一だぞ」
「どうせ、あたしは数には入ってませんよーだ!」
 口を滑らせたせいで、ますますサチはご機嫌を損ねたようだった。
「そりゃ、確かに。サチは数に入ってない。まだ・・・・・・」
 そう、俺の気持ちの整理さえつけば、いつだってサチは俺の恋人になれる。俺が、気持ちに整理さえつければ。でも、臆病な俺は、どうしても最後の一歩が踏み出せないでいる。でも、こんな状況が続けば、いずれ、サチは俺に失望して俺の前からいなくなってしまうということも分かっている。あと一歩、あと少し勇気があれば、それでいい。
「ありがとう、コータ」
 サチの言葉に、俺は息を飲む。
「まだってことは、これからチャンスがあるかもしれないんだよね。じゃあ、あたし、コータを信じて待ってるから。だから、コータは焦らなくていいから、あたしのこと、少しでも好きになってくれたら嬉しい」
 サチが言い終わる前に、俺はサチを後ろから抱きしめた。
 柔らかく温かいサチのぬくもりに、俺は二度と大切な人を失わないで済むようにと祈りながら抱きしめ続けた。
「コータ?」
「サチが大切だから、サチが本当に大切だから、失いたくないんだ・・・・・・」
 俺の本心が、口から滑り出していった。
「ありがとう」
 サチはお礼を言うだけで、こんな優柔不断な俺に文句の一つも言わなかった。
「もう少し寝る? それとも、起きる?」
 午後勤務の俺の出勤時間までは、もうひと眠りできそうな時間で、俺はサチを抱きしめたまま『寝る』と答えた。
「こうしてると、あったかいね」
 サチは嬉しそうに言ってから、少し心配げに腕枕をしている俺の手に触れた。
「私の頭が載ってると、手が痺れたりしない?」
「大丈夫だよ。サチの頭が枕に乗ってるから、腕にそんなに重さはかかってないから」
 俺が言うと、サチは愛しいというように、俺の腕に自分の手のひらを重ねた。
「おやすみ、コータ」
「おやすみ、サチ」
 俺たちは、朝の光の差し込む部屋のベッドで、お互いに相手を眠りに誘うかのように言葉を交わすと、ゆっくりと眠りに落ちていった。


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