君のいた時を愛して~ I Love You ~
 結局夜になっても、幸多の居場所はわからなかった。
「ただいま」
 家に戻ると、薫子が驚いたような顔をした。
「今晩もこちらにお戻りとは、思いませんでした」
 幸多がいないこともあり、薫子の言葉は辛辣だった。
「仕方がないだろう。幸多から連絡が入るかもしれないんだ。あいつには、私たちの夫婦生活が破綻していることは知られたくないんだ」
 航の勝手な理論だった。
「あなたって、本当に身勝手な方なんですね」
 薫子は言うと、ぷいと横を向いた。
 幸多の前で見せていた良妻賢母な顔は、あくまでも、渡瀬グループのリーダーである渡瀬航の妻の顔であって、決して本当の顔ではない。本当のところ、航がぐずぐずしていなければ、自分が生むことができたかもしれない跡取りなのに、昔の女に心を奪われたまま、しぶしぶ結婚したうえ、男としての欲求は外に囲った若い女で満たす。そんな卑劣な航を困らせてやろうと、親にまで恥を忍んで相談したが、結局のところ、航が素直に薫子と床を共にするようになったと思ったら、すぐに航は病気になり子供出来ない体になってしまった。
 薫子だって、形だけの妻ではなく、渡瀬グルーブの母になることが最終的な計画だったのに。そうでなければ、他の女と駆け落ちするような男となど、結婚するつもりはなかった。それでも、親にいずれは渡瀬グループの母になるのだからと言い含められ、気のりはしなかったが、航は外見も学歴も良く、他の見合い相手よりは格段に話が良かったこともあり、薫子は航で手を打つことにした。
 結婚した当時から夫婦関係は冷え切っていたし、子供はできないし、色々な意味で薫子の計画とは大きく異なっていたが、それでも、愛人にも子供が出来ない事は明らかだし、妻としての地位は安泰と思っていたのに、駆け落ちした愛人との間に子供が生まれていたというのは、完全に寝耳に水で、幸多の前では優しい妻を装っていたが、航だけの日に、愛想を振りまくような義理ももはや感じない。
「お食事は、用意してありませんから、召し上がるんでしたら、厨房にご自分でおっしゃってくださいね。私は、自分の部屋で休みますから」
 薫子は言うと、さっさと航の事を置いて階上に姿を消した。
 残された航は、厨房に顔を出したが、既にスタッフは引き上げた後だったので、航は仕方なく自分で茶漬けを作り、厨房で立ちながら食べた。
 結婚してから、こんな惨めな生活を送ることになるとは、考えてもみたことがなかったが、愛人を三人も囲い、月に数日しか戻ってこないとなれば、この扱いは当然とも言えた。
「こんなところは、幸多には見せられないな・・・・・・」
 航はつぶやくと、朝出勤した厨房係が困らないように、使った茶碗をきちんと洗ってから自室に戻った。
 自室と言っても、夫婦の寝室を航が使っていて、薫子が出て行っただけなのだが、月に数日しか帰らない航が夫婦の寝室を使っているというのも、おかしいかもしれないと思いながら、航は冷たく冷えたベッドに入った。
 これが愛人宅なら、ベッドは航が入る前に暖められているのだが、自宅のベッドに入るのはなぜかいつも航が先。適当に温まったあたりで、薫子が入ってくるというのがお約束だ。

☆☆☆

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