君のいた時を愛して~ I Love You ~
 二人の計画は、結局計画で終わってしまった。
 引っ越し先を探しに不動産や巡りをしようと約束していた週末、激しいノックの音にサチとコータは飛び起きた。
「おら、出てこんか! ドアー、開けろや!」
 それは、サチが忘れたくても忘れられない、粗野で野蛮で、暴力的な母の情夫の声だった。
「サチ、服!」
 裸同然だったサチに、コータは言うと、自分も慌てて服に袖を通した。
 サチは恐怖で体がうまく動かず、服を着るのにも手間取ったが、なんとか身なりを整えた。しかしその間も、扉がしなるほどに廊下側から扉を叩いているのか、蹴っているのかわからない激しく音がしていた。
「いま開けます」
 サチが着替えたのを確認すると、コータが答えて扉を開けた。
 なだれ込んでくるように、男とサチの母が部屋の中に転がり込んできた。
「なんやここは、物置か?」
 粗野な男らしい言葉に、コータは何も答えなかった。
「なんなのよ、ここは!」
 上品ぶった母の声音に、サチは笑いをこらえるのが精一杯だった。
「お前か? 中村なにがしっちゅうヤローは。このクサレ泥棒猫が!」
 男は言うと、コータの事を見上げた。
「はい。自分が中村幸多です」
「じゃあ、お前で間違いないんやな、うちの可愛い娘をたぶらかして、傷もんにしたんは」
「この子は、私たちが手塩にかけて育てた、大切な可愛い娘なんですよ。それを親に何の断りもなく、勝手に結婚だなんて、絶対に許しませんからね!」
 二人の言い分に、サチは言い返そうとしたが、コータがサチを止めた。
「ご挨拶が遅れたことはお詫びします。ですが、サチさんも自分も既に成人です。ご両親の承諾がなくても、個人の意思で結婚ができる年です」
 コータの言葉に、男が立ち上がるとコータに掴みかかった。
「なんやて、にーちゃん。親に断りもいれんと、結婚するんは当然ゆうんか? だれがサチを食わして大人にしたおもっとんや? 子供は、飯食わさんと、大人にはならんゆうのは常識やろ。まさか、サチが一人で勝手に大人になったなんて思っとるんやないやろな?」
 サチの予感は当たった。
 二人して、サチが稼ぐ予定だったお金をコータから養育にかかったお金として巻き上げようと言うのだ。
「自分がサチさんと出会った時、サチさんは全身に怪我をしていました」
 コータは一歩も引かずに言い返した。
「それは、サチが付きおうとった、店の店長の仕業や。サチとはねんごろの仲やったからな。痴話げんかもすれば、多少は手を上げることもあるわ、ガキやないんからな、大人の男と女っつーもんは。お前かて、サチと良い仲になっとったんやから、分かるやろ? こちとらなぁ、サチが突然、店辞めて店の金持ちだしたっちゅうんで、えらい迷惑被ったんやで。それをお前ひとり、良い思いして、この落とし前、どないつけてくれるんや?」
 母の情夫の言葉に、サチはわなわなと震えながら、台所の包丁を今にも掴んで、あの二人をこの世から消し去ってしまいたいと思う自分を止めるのに必死だった。
「申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
 コータの言葉に、男のパンチが炸裂した。
「サチ、警察に電話して」
 落ち着いたコータの言葉に、サチはPHSで台所の包丁ではなく、ベッドサイドで充電していたPHSに飛びつくと、一一〇をプッシュした。
「幸、あんた、親を警察に売る気なの?」
 母が声を荒げたが、サチは『助けてください。主人が、殴られて』と警察に助けを求めた。
「お前、演技上手くなったやないか」
 男はサチが本当に通報していないと思っているらしく、再びコータの襟元を掴んで持ち上げるようにして立たせると、散々因縁をつけ、コータを罵倒し、サチを中傷した。
 しかし、既にアパート内の他の住人も警察に通報していたらしく、警察はあっという間に姿を現した。

「警察は、民事不介入なんですよ、ご家族の事は、ご家族で解決していただかないと」
 そういう警察官に、サチはこれが恐喝と暴行だと説明した。すると、アパートの住民もサチの言葉を裏付けるような説明を他の警察官にしてくれたようで、警察官達はしばらく二人を連行するかどうか躊躇っていたが、一階の玄関の扉を男が蹴り開け、扉のガラスが割れたことから器物破損ということで、最終的に二人は警察署へと連行されていった。
 駆け付けた複数の警察官達が帰った後、サチとコータは各部屋に謝りに行った。
 怒られ『出て行け』とか、『迷惑だ』というようなことを言われると思っていた二人に、アパートの住人たちは、『人生、色々あるからね』と理解を示してくれたり、『ああいう、堅気じゃない連中とは今後付き合っちゃいけない』というようなアドバイスをしてくれたり、『なんかあったら、すぐに警察を呼んであげるからね』という温かい言葉を二人にかけてくれた。
 それは、コータが一人で住んでいたころとは、住人が丸ごと変わってしまったのではないかと思うような対応だった。しかし、すべては突然コータの部屋に住み始めたサチが築き上げた小さいけれど、大切な近所付き合いの賜物だった。


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