君のいた時を愛して~ I Love You ~
二十七
 俺はサチとの約束を果たすため、出勤途中で書店に寄って電話帳かと思うくらい超がつくくらい熱い結婚専門雑誌を居並ぶ女性陣の訝しむ視線に晒されながら手に入れた。
 もしかして、これは結婚式までに体力をつけるためのトレーニング道具を兼ねているのかと思うくらい重かった。
 もちろん、俺が迷わずに雑誌を探すことが出来たのは、美月が時々買っていたからだけれど、今から思えば、よくこれほどの重さの本を女性が買って帰るものだと、感心してしまう。
 事実、俺は会社のロッカーまで運んだだけで、いつもとは違った類の筋肉を使ってしまったらしく、軽い筋肉痛になってしまった。
 仕事は仕事、休憩は休憩と、メリハリは大事なので、俺はあの鉄の塊かと思うほど重く感じられた本をロッカーにしまうと、いつものシフトに入った。
 契約社員という今までとは違う立場になれば、当然、責任も増えてくる。前のスーパーならば、クレームを言ってくるお客さんには謝るだけ謝って後はお願いしますと社員やパートさんに回すことが出来たが、ここでは俺が回される方になる。
 バイトの言葉遣いが悪い、袋詰めの仕方が悪くて食材が潰れた、レジの打ち間違い。お客さんからのクレームは尽きることはない。だから、一番楽そうに見えてサービスカウンターに入る当番の日は、俺の気弱な心臓を鉛の金庫の中にしまって仕事に向かわないと、あっという間にお客さんの怒りの刃でめった刺しにされた俺の心は血だらけスプラッタで休憩前にめまいや頭痛を感じるようになってしまう。なので、サービスカウンターに入る前に俺は心の中にある鉛製の金庫に俺の弱い部分をしっかりとしまい、『ぬりかべ』が来ようが『一反木綿』がこようが、それこそ、もっとヤバい系の妖怪のようなヘビークレーマーが来ても大丈夫なように備えた。
「カウンター、交代します」
 俺と同じ、契約社員の女性がかなりヘタった様子でほっとしたような表情を浮かべた。
 午前は比較的お客さんも少なく、お昼直前からお客さんが増えるのに合わせ、カウンターでは返品や交換、商品の不備の対応に追われる。
 つまり、お昼前後は大将のところにいた時の『鰆』バリに戦闘モードになる必要があるんだが、それを越えると、いま交代した女性の契約社員さんのようなメッタ刺しにされましたモードに表情が固まってくるので、遅番の俺が後退に入るというシフトになっている。
 お昼は過ぎているので、しばらくの間は、平和な時間が続く。
 どちらかというと、明るいうちに買い物を済ませて帰りたいお年寄りの買い物サポートといった感じだ。しかし、休憩をはさみ、夕方に入ると、関ヶ原の合戦のような夕飯のお買い物主婦軍が侵攻を開始してくる。
 ずいぶんなれたこともあり、俺は『ええっと、ほら、あれ、どこにありましっけ?』という、主語不明なおばあちゃんの買い物探しにも余裕で付き合ってあげる。
「こんにちは、どのようなものをお探しですか?」
 俺が笑顔で問い返すと、おばあちゃんは『ほら、あれよ、いつも買ってる、あれ!』と、再び、主語不明を繰り返すが、実は、このおばあちゃん、カウンターでは常連なので、俺はポケットのノートを取り出した。
「えっと、みりんですか?」
「ちがうわ、ほら、あれよ、あれ」
 リストにある、おばあちゃんが今月まだ買いに来ていない品目から、適当に当たるまで選んでいかない限り、このおばあちゃんは、売り場に移動してくれないので、ある意味困ったお客様なんだけれど、悪気があるようにも見えないので、みんなで情報共有しながら、おばあちゃんの相手をする。
「あ、もしかして、かつおだしの素ですか?」
 重い本のせいか、選択が重い商品に偏ってしまった。
「ちがうわよ、ほら、ふわふわの!」
 来た! このヒントの時は、鰹節削り!
 俺はノートを見ながら、頷いた。
「鰹節削りですね?」
「そう、そう、そう、それよ」
 おばあちゃんの顔がぱあっと、明るくなる。
「乾物のコーナーになりますので、取って参りますので、少々お待ちください」
 俺は『お客様対応中』という札をデスクに置いて、おばあちゃんのお気に入りの鰹節削りをダッシュで取りに行く。
 基本、液体、重量系商品と、売り場までの距離が離れているものは、おばあちゃんには取りに行かせないことにしているので、俺はカウンターからほぼ対角線上の一番遠いエリアにある乾物エリアから鰹節削りのパックを取ってカウンターにダッシュで戻る。といっても、基本、店内は速足までというスピード制限があり、走るのは禁止だ。競歩のようなスピードも禁止されているので、自分のコンパスの長さでスピードと距離を稼ぐ他はない。
「大変お待たせいたしました。こちらの商品でよろしいでしょうか?」
 俺が鰹節削りをみせると、おばあちゃんは嬉しそうに何度も頷いた。
「では、お会計もこちらでお受けいたします」
 俺はおばあちゃんが釣り銭が出ないようにと、時間をかけて財布の中から小銭を取り出してぴったりの額をトレイに置くのを待ち、レジを打って商品とレシートを袋に入れておばあちゃんに渡す。
「こちらが商品になります。ありがとうございました」
「ありがとうね」
 おばあちゃんは言うと、大事そうに鰹節削りを抱えて帰っていく。
 それにしても、いつも思うんだが、他に買い物ないのか?
 もしかして、他の必要なものは他の店で買っているのか?
 俺は沸き上がる疑問をおばあちゃんの背中を見ながら必死に追いやって仕事に集中しようとした。
 俺のノートに鰹節削りを買った記録を書き足すだけでなく、他のカウンタースタッフが分かるようにしておかなくてはいけない。
 メモを書いて、いつもの位置に置くと、すぐに次の売り場の場所がわからないお客さんがやってくる。
 何人かのお客さんを誘導し、高齢なお客様のためのピックアップサービスに店の中を縦断し、カウンター業務なんだか、店舗内縦断業務なんだかと、ため息をつきそうになりながらも最大船速でカウンターに味噌一キロ、醤油一リットル、日本酒一リットル、砂糖一キロを抱えて、カウンターに戻り、お客様の会計を済ませ、買い物カートに入れるのにてこずるお客さんの補助をしているうちに俺の休憩時間になり、副店長が交代に姿を見せた。
「お気をつけておかえりください」
 ヨロヨロしながら四キロの調味料をカートに入れ、引っ張って帰っていくお客様を見送り、副店長にカウンターを代わってもらうと、俺は休憩に入った。
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