君のいた時を愛して~ I Love You ~
 夕飯の支度をしながら、サチは思わずコータの言葉を思い出して顔が緩んでしまうのを止められなかった。
 コータの自分への無償の優しさ、コータへの自分の想いに気付いた時、サチはその想いが決してコータに通じないものだと思って一人泣いたこともあった。
 高熱にうなされながら、何度も『美月』という名前を呼ぶコータに、サチはコータが『美月』という女性をどれ程愛し、どれ程欲しているのかを嫌というほど思い知らされた。だから、自分がコータに告白した時、コータに疎まれ、部屋から出て行くように言われたらどうしようかと不安になったが、コータはサチの気持ちを受け入れてくれた。そして、コータはサチの事を好きだと言ってくれた。
 ずっと一方通行でも構わないと、コータという眩しく温かい光のような存在の傍に居られるだけでいいと思っていたのに、突然コータと引き離され、もう死んでしまいたいとすら思ったサチだったが、その強引なコータの父の行動のおかげで、コータとめでたく結婚することが出来た。
 結婚なんて、母親と一緒に暮らしていたころのサチには想像すらつかないくらい、手の届かない幸せだった。
 行く当てもないのに、家を出た時、結局は水商売を経て、どんどん身を堕としていくしかないのだろうと、いっそ死んでしまった方が幸せなんじゃないかと、そんなことを考えながら、やみくもに電車を降り、知らない街を歩き続け、疲れて座り込んでいるサチに声をかけてくれたのはコータだけだった。
 たぶん、渋谷や歌舞伎町といった、そっち方面の仕事の沢山ある場所に座り込んでいたら、沢山声はかけられたのだろうが、そう言うものから逃げたくて家を出て来たサチは、気付けば比較的住宅街の多い街を自然と選んでいた。それもあり、不審げに見ていく人はいても、サチに声をかけてくれる人はいなかった。
 きっと、もっと長く座り込んでいたら、警察に職務質問され、家出娘扱いで家に送り返されていたのかもしれない。
 でも、コータは優しく声をかけてくれた。
 何も求めず、食べ物を与えてくれ、安全な寝場所を与えてくれた。コータ自身だって、決して楽な暮らしをしていたわけではない事は、住んでいる部屋や荷物の量からすぐに分かった。それでも、コータは何も求めず、ただサチを置いてくれた。
「こんなに幸せでいいのかな?」
 思わず、最近よく考えることが口をついて出た。
 きっと、コータが聞いたら『もっと幸せになれる』と答えてくれるのだろうが、一人きりの部屋には答えてくれる人はいなかった。
「コータもバリバリ働いてるんだから、あたしもしっかり美味しい夕飯を作らなくちゃ!」
 サチは自分に言い聞かせるように言うと、再び手を動かし始めた。
 今日のメニューはちょっと贅沢なハンバーグだ。
 豚肉がほとんどだけれど、牛肉も少し入っているから、一応、合い挽きには違いない。これに、角切りにしたチーズをはさみ、フライパンで焼くだけの簡単なものだけれど、男性は豚肉を食べる方が健康にいいとスーパーの肉売り場に雑誌の記事のコピーが貼ってあったのを見たので、鳥の肉団子入り雑炊をやめてハンバーグにメニュー変更したのだった。
「あ、販売促進用に、雑誌の記事とかを使ってポップを作ったりする仕事、コータしてるって前に話してたけど、あれもコータが作ったのかな?」
 サチは丁寧に貼られた記事を思い出しながら呟いた。
 小さな冷蔵庫では、作り置きが厳しいので、どうしても食費は切りつめても切りつめても、生活費を圧迫してくる。
「ああ、大きな冷蔵庫が欲しいなぁ」
 サチは呟いたが、大きな冷蔵庫を置いたら、部屋が恐ろしく狭くなることは改めて部屋を見渡さなくても分かっている。
「大きくなくてもいいから、せめて、これの二倍は欲しい! 出なきゃ、冷凍庫だけでもいい!」
 サチは欲求を口に出しながら、力を込めて肉をこねた。
 ちょうどよい粘り気が出て来たところで、サチは先に切っておいたチーズを手に取り、一つ一つ丁寧にハンバーグの形を作っていく。
 こね方が足りないと、チーズを入れた後に綺麗な形にならないので、出来上がりを確認しながら一つ目を作ると、お皿の上に置いた。それからは流れ作業だ。作り終え、ラップをして冷蔵庫に。しかし、冷蔵庫には先客のサラダが鎮座していた。
「ああ、このお皿じゃ入らない!」
 何度目かの不満をもらしながら、サチは綺麗に並べたハンバーグのお皿を優先して冷蔵庫にしまうと、サラダをタッパーに流し込んだ。
 既に綺麗に盛り付けてあったのだが、ハンバーグが入らないなら、サラダのプライオリティは低い。
「ああ、冷蔵庫~」
 サチは祈るように言うと、手順を確認した。
 炊飯器のご飯は、コータから連絡があったら炊飯ボタンを押せばいいし、サラダはその時点で盛りなおせばいい。ハンバーグはコータが帰ってきてから焼く。
「これでばっちり!」
 サチは言うと、最近の習慣になっている、夕飯の支度が整った後の休憩に入り、ベッドに横になった。
「なんだろう、最近、本当に疲れやすいんだよなぁ。ビタミン剤とか、買ってこようかな」
 昼の仕事の後も、そのまま買い物に行かれず、部屋に戻って休憩してからでないと買い物にも出られない。
「病は気からっていうもんね。疲れる、疲れるって思ってるから、余計疲れるんだよね」
 サチは自分に言い聞かせるように言うと、目を閉じた。

☆☆☆

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