その身体に触れたら、負け ~いじわる貴公子は一途な婚約者~ *10/26番外編
 この婚約を破棄したいか。

 フレッドが目を細める。しばらく思案げに顎に手をやり、「あなたは」と口を開いた。

「媚びない。『氷の瞳』を恥じることもない。あなたを貶めようとする言葉に屈することも、短慮になって相手に言い返すこともない。自分を憐れんでみせることもないでしょう。僕はあの日、ずっとあなたを見ていました」

 フレッドの唇がゆるく弧を描いた。称賛をふくんだ笑みを向けられたのは初めてで、オリヴィアはたじろいだ。

「それにこう言ってはなんですが……、あなたの唇も忘れられないですし」

 今しがた湧いた思いも忘れ、オリヴィアは反射的に手を振り上げる。けれど結局あの日と同じように唇をわななかせながら、彼女はその手を下ろした。

「ここでなら甘んじて受けるのに、いいんですか」
「……叩いたら、負けてしまいますから」

 フレッドがますます笑みを深める。
 わざと仕向けられたのだろうか。
 けれど彼の眼差しはこれまでと違い、不思議に甘かった。

「僕も、負けたくはないですね」

 フレッドが一つ伸びをしてから、ユナイ川を眺めた。

「もう少し見ていたいが……あいにく陽がかげってきた。帰りましょうか」

 フレッドが先に立って馬のところに戻る。
 不遜で寂しそうで、屈託なく笑うかと思えばわざと人を煽る物言いをする。とらえどころがない。今の返答も的を射ない。
 
 だけど確かなのは、彼女が触れる直前、彼がわざわざ「賭けが終わりますよ」と笑って止めたことだった。勝ちたいのなら、何も言わなければ良かったのに。

 それに、愛馬に向かった彼はオリヴィアと並んで歩いたときよりも歩調が速かった。それはつまり、さっきは彼女の歩く速さに合わせてくれていたということではないだろうか。
 だから彼女もことさらに意識せずに過ごせたのだ、と今さらながら気づく。

 それこそが彼の本質なのかもしれないと、ちらと思った。
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