その身体に触れたら、負け ~いじわる貴公子は一途な婚約者~ *10/26番外編
 帰り支度を始めてまもなく、雨が降り出した。雨足は強くなる一方で、空も墨色を帯びて急速に視界を奪っていく。このままでは屋敷に戻れなくなる。それぞれの馬に飛び乗り、悪天候の中を屋敷へと駆けた。

 オリヴィアはフレッドと並走していたが、徐々に速度が落ちてきたことに嫌でも気づかされた。馬そのものの体力差と、オリヴィア自身が前夜に充分な睡眠を取れなかったせいだろう。今さら嘆いても仕方のないことだった。彼女は気取られないように懸命に馬を駆った。

「オリヴィア、止まるんだ。あなたではその馬を御して屋敷までたどり着くのは難しい」

 叩きつける雨の中、フレッドの馬が触れそうなほどそばまで近づいた。

「大丈夫です。ここは領地ですもの、何とかなります」
「意地を張っている場合じゃない。あなたもその馬も限界だろう。僕の馬に乗れ」

 彼が従者に彼女の馬を連れて先に行くように指示する。

「いいえ、その必要はありません」

 彼女がそう突っぱねたときだった。折悪しく彼女の馬が泥濘《ぬかるみ》に脚を取られてよろめいた。短く悲鳴をあげるや否や、フレッドが自分の馬を彼女の馬にぴたりとつけ、彼女の腰をぐいと力強い腕でさらった。本能的な反射で皮膚が総毛立った。

「ぃやっ、やめて、触らないで!」
「落ち着くんだ。まったくこんなときまで頑固だな。嫌がることはしないから、僕につかまって」

 恐怖でパニックになり、離れようともがく彼女をフレッドが深く抱えこむ。フレッドはそのままがっちりと彼女を固定したまま、暴れだすリリスを手綱を引いていさめる。

 それ以上は何もされないと身体が理解して、ようやくオリヴィアは少しだけ冷静さを取り戻した。

「ごめんなさい」
「いいから、つかまっていて」

 雨はさらに激しくなり、遠雷にリリスが怯えるのをフレッドが力強い声でなだめる。そのうちに雨にさらされた身体に寒気が走って、彼女は深く考えるまもなく目の前の温もりにしがみついた。震えが止まらなくなり、フレッドの腕の力が強くなったことにも気づく余裕がなくなる。

「オリヴィア、この近くにどこか身体を休める場所は?」
「狩猟小屋なら……、左手の森の中に」
「案内できるかい? 今夜は屋敷に戻るのは難しい。一晩そこで過ごすしかない」
「わかりました、大丈夫……」

 フレッドが従者に指示を出す声がぼんやり聞こえる。どうやら先に屋敷へ戻り、明朝に迎えを寄越せと言っているらしい。そうこうしているうちにも、彼女の意識はだんだん遠のいていく。

 息が浅くなる。オリヴィアは辛うじて小屋への道だけを示すと、フレッドのかたい胸の温もりに全てを委ねて意識を手放した。

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