白いオルフェ

「ええ、暴力は段々とエスカレートし、身体中に痣や傷が絶えなくなり底知れない恐怖感を感じたので、元の警察署の上司に相談し中に入って貰い、離婚届に判を押させると逃げるように住んでいた家を飛び出し実家に戻ったの」目の前の料理には手も付けず、両手の拳を握りしめた京子が美智雄の目を見ながら説明した。
美智雄は一旦テーブルに目を落とし溜息を吐いたがすぐに顔を上げ京子の目を見つめ、「僕がどれ程君の気持を分かってあげられるか、でもとても大変な事があった事はわかる」
場の雰囲気を変えようと笑顔を見せながら京子が、「御免なさいつまらない事を言って、料理が冷めないうちに食べて、私の話は終わり」
その言葉とほぼ同時にサキソフォーンのメロディーが流れ始めた。
次第に二人の会話は再び共通点である保証会社の話に変わった。
「済みません、ビールお願いします、黒いオルフェか・・」美智雄はビール好きだ。
「黒いオルフェって、映画で知られているこれ？」と京子が右手の掌を少し浮かし気味にする。
「アートファーマーの演奏じゃないかな」と美智雄が戻り始めた雰囲気を描き出すように。
「美智雄さんは本当にジャズに詳しいのね」と言いながら京子は誰かと比較するように斜め上を見上げた。
「どうしたの、まさか会社に嫌いな人でもいるわけでは」美智雄は可笑しな質問かとは思いながらもそんな気がした。
京子が少し顔をしかめる様に、「新井さんって、美智雄さん知っているでしょ」
チーズを食べながら美智雄が、「新井って僕と同年齢の関東の担当だったあいつかな、新井がどうかしたの」
「新井さんがね、ちょくちょく私に言うの」
「何んて、あいつは会社に長くいるし、いろいろ仕事に詳しいからもうじき昇格するんじゃないかな」
「私が離婚したことは何時の間にか社内でも何人かの人が知るようになって、それだけならいいんだけれど・・新井さんは私に『ホテルに行こう』って誘うの」
美智雄は飲んでいたビールのグラスを急に口元から外し、「ホテルって、仕事中にまさか京子さんの席に来て言うんじゃ無いでしょ」
「ほら、食堂で休憩とか出張の準備をしている時などあるでしょ、それで二人だけになった時に、しつこいんだ」京子が少し残ったワインを飲み干した。