出稼ぎ公女の就活事情。
第三章 すれ違いと不穏な噂
「できました」

 わたしはブラシを置いてリルに声をかける。
 少し前までならブラッシングの後はしばらくフワフワしたリルの身体を堪能していた。
 わたしがフワフワモフモフ好きなことを知っているリルは終わってもしばらくはじっとしてわたしの好きに触れさせてくれていた。

 けれど、近ごろは。

「ありがとうございます」

 そう言ってさっさと部屋の隅に用意された衝立の奥へ向かってしまう。

 どれだけまともに口をきいていないだろう。
 
--あの日、から。

 わたしがリルに仕事のことでお願いをして、その夜は基地から帰らなかった日。
 わたしが初めて街に出た日から。

 わたしとリルはまともに口をきいてもいなければ、視線をろくに合わすこともない。 
 
 すでに一月近い時間が経っているというのに。

「……失礼します」

 見えていないのは承知で頭を下げて部屋を出た。


 何故リルは何も言わないのだろう。

 わたしは与えられた自室ではなく回廊の庭に向かいながらまた今日も考える。
 考えたところで答えなど出ないのだけれど。

 だってわたしにはリルが何を考えているのか、さっぱりわからないんだもの。

 わたしがリルのいない間に街に出ていることも、紹介所に通って仕事を探していることもリルは知っているはず。カルダさんがリルに報告しているはず。
 なのに何も言わないし何も聞かない。


 この頃のリルはとても忙しいらしくて、夕食も一緒に取らないことが多い。
 もっとも一緒に取っていても話をする空気でもなく、ただ黙々と食べるだけ。

 邸に帰って来ない日も多くなった。
 邸の皆は騎士様はこのところ皆忙しいようで、というけれども、わたしはどうなのかしら、という気もする。

 自意識過剰というものかも知れないけれど、わたしと顔を合わすのが嫌で帰らないのではないか、と思ってしまう。

 さすがにそれは考え過ぎというものだろうけど。
 
「……はあ」

 ため息が出る。
 というかため息ばかり。


 庭には今日もカランコエの花が咲いていた。
 小さくてけして派手な華やかさがあるわけではない。だけれど可愛らしい花。
 
「たくさんの小さな思い出、か」

 わたしの記憶の中にはたくさんの『リル』との思い出がある。
 再開したリルと思い出の中の『リル』は、似ているようでいて、全然違う。
 というより同じだと思ったのは、最初だけ。
 時間が経てば経つほど今のリルと思い出の中の『リル』は違う。


 わたしが好きなのは、好きだったのは思い出の中の『リル』で、今のよくわからないリルじゃない。

 今でも好きだけれど、好きなのは『リル』で、リルじゃない。

 変だけと。 
 でもそうなのだ。

 そのはず。

 なのに、

「……キツいよ」

 弱音が口をつく。

 わたしは花壇の横に座り込んで、またため息をついた。
 
 

 
 

 
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