出稼ぎ公女の就活事情。
 そのまま座り込んでいると、視界の端っこに慌てた様子のミラさんが回廊を走ってくるのが見えた。
 
 珍しい。
 いつもは慌てた様子であっても走りはしないのに。
 そもそも侍女という仕事は基本何事にも動じない精神力が求められる仕事だ。
 ただお姫様やお嬢様、お坊ちゃんのお世話をしていればいいというものではない。

 冷静さも求められるし、立ち振る舞いやマナーも求められる。

 そしてわたしの見るかぎり、ミラさんはほんの少し若者らしい軽さはあるものの、侍女としての及第点には充分達していると思う。

 それこそフランシスカの王宮でだって働けるレベル。そのミラさんが廊下を走っているとは、いったい何が?

 と見ていると、ミラさんはわたしの目の前で立ち止まると、「ど、どうなさいました?」とオロオロしながら言った。

--あれ?

 おかしいな。
 王宮でも通用する立派な侍女のはずなのだけれど。

 ちょっと、オロオロし過ぎじゃないかしら?

 はて、と首を傾げていると、ミラさんはドレスの重なった布の隙間からハンカチを取り出してわたしに差し出す。

 ミラさんたち邸の使用人の皆さんは器用に重ねて巻いた布の隙間にいろんなものを入れている。
 一見わからないけれど、ドレスのあちこちがポケットになっている状態だ。 

 わたしは差し出されたハンカチをポカンと見つめて、自分の視界が妙に歪んでいることに気がついた。
 そっと手で触れると、冷たい濡れた感触がある。

 そこまでして、ようやく自分が泣いていたことに気づいた。

「リディア様!私はリディア様がこちらにいらっしゃる間だけの侍女ですけれど、ですが、ですが、その間は心からリディア様にお仕えしたいと思っております!」
「……はい」

 ものすごい勢いでまくし立てるから、びっくりする。

「私がどこまでお力になれるかはわかりませんが、ですが、その……お話を聞くくらいはできますわ!」
「はい」

 どうしよう。
 勢いに押されすぎて「はい」しか言え
ない。
 
「悩み事や辛い事は他人に話すだけでも少し楽になると言いますわ!」
「そうね……」
 
 あんまり必死だから、なんだか笑えてしまいそう。
 わたしはミラさんの差し出したハンカチを受け取って、小さく笑った。

「ごめんなさい。わたしが泣いていたから驚かせたのね」

 それで慌てて廊下を走りまでしていたのか。

 ミラさんは優しい。
 優しくて、親切だ。

 ミラさんだけじゃなくて、ここの人は皆。
 カルダさんでさえ、冷たく見えることもあるけれど、実は優しい。  

「ありがとう」

 受け取ったハンカチでごしごしと顔を拭った。

「あ、いけませんっ!そんなにこすると腫れてしまいます!」
「はい」

 持っていたハンカチを取り上げられて、そっと押し付けて頬を拭かれた。

「とりあえずお部屋で冷やしましょう。化粧も直さなくては。話はそれからですわね」

 そう言って今度は手を差し出される。
 わたしはその手を取って、ゆっくりと立ち上がった。



 



 
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