紙切れ一枚の約束

「毒舌」

「『変わり果てた姿』って、あんた」
私はあきれたが、妹尾は真剣だった。
「本当ですよ。今の先輩は、昔の先輩のだしがらですね」
「毒舌ね、相変わらず」
「それで嫁に逃げられましたけどね」
ふっと自嘲気味に笑う妹尾。私は妹尾の髪に触れた。
「濡れてるわ。拭いたら?」
「いいですよ、風邪ひいても、家に帰ったところで誰もいないし、俺なんてどうだっていい」
「私がいることを忘れないでよ。あんたのおかげで、大事なことに気づいたんだから」
私はバッグから大判のハンカチを取り出して、簡単に妹尾のくるくると巻いた天然パーマの黒髪を軽くぽんぽんと拭いた。
「お相手は、申し分ない。でも、専業主婦希望で、私はキャリア志望。無理して家庭に入っても、私は息が詰まってしまうし、何より無収入は怖い。これから先なにがあるかわからないんだから。紙切れ一枚で、仕事っていう自己実現の場と収入を失ってしまうより、独身お局のままで気ままに過ごすのがよさそう」
しっとり濡れた髪を拭き終わると、妹尾は素直にこちらを見てほほ笑んだ。
「ありがとう」
「こちらこそ。お花畑から引き戻してくれてありがとう。自分がモテた気になって、初めて自分の女性としての魅力が評価された気になって、調子に乗ってたわ」
私がにこりと笑うと、妹尾はすまなそうに言った。
「すみません、きついこと言いすぎました。余裕がなくて、少し意地悪してしまった……」
 「いいのよ。……さあ、これからは大人の時間よ。どこかで飲みましょう。おごるわよ」
 「サンキューです」
「これくらいしかできないけど、私はあんたのこといつも考えてるわ。一人だなんて思わないで。それに……今のあんたが就いてる職業は、その『紙切れ一枚』が重要な意味を持つ仕事でしょう?生徒たちはみんな模擬試験や検定試験の結果に一喜一憂。そのケアをしてあげられるのはあんたしかいないし、私も民間企業の立場から、もっと教育界がよくなるようにがんばるから。今は、ゆっくり休んで病気を治しなさい。あんたは、必要とされているわ。少なくとも、私には必要よ」
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