千一夜物語

三人の約束

早朝、朧車と共に嵯峨野の寺の前に着いた黎は、逸る気持ちを抑えながら神羅が出てくるのを待っていた。

周囲には警戒するかのように僧兵が立っていたが手出しすることはなく、待っている間、神羅がまだ迷っているのではないかと思って不安になっていた。


「そこの方」


「…大僧正とか言ったな。なんだ」


寺の中から出てきたのは人にしては恐らく長生きしている部類であろう好々爺の男で、頓着なく黎に近付いて背筋を正した。


「神羅は子を失って悲しむあまり自死をしたと発表いたします」


「…そんな言い訳がまかり通るのか?」


「なに、ちょうど女子の無縁仏の骸があるので思いついたのですよ。そうでもしなければ朝廷から使者がやって来てしまいますからな」


「…すまないな」


黎が謝ると、大僧正は開いているのか閉じているのか分からない目を大きく見開いて、豪快に笑った。


「お謝りなさるな。神羅は何もかも捨ててそなたの元へ行く決意をしましたからな、親代わりとしてあの子の幸せを願うのは当然のこと。もちろん幸せにしてもらえますな?」


「もちろん誓ってもいい。母子共に、死ぬまで傍に居る。…神羅が死んだらここで弔ってもらいたいが、いいか」


頷いた大僧正と話している間に神羅が出て来た。

しっかりと桂を腕に抱いて現れた神羅はただただ美しく、黎はこみ上げてくるものを感じながら、神羅をひょいと抱えて朧車に乗せた。


「大僧正…!本当に、お世話になりました!」


「なんのなんの。夫婦喧嘩をした時はここへ駆けこんで来なさい。待っとるよ」


「待つな」


黎に一喝されて茶目っ気たっぷりにぺろっと舌を出した大僧正に笑みを誘われた神羅は、黎が乗り込んでくるとなんだか緊張して桂を抱いて俯いた。


「朧車、出してくれ」


朧車が空中へ飛ぶと、大僧正たちは手を振って神羅を送り出した。

見えなくなるまで手を振って、幸せを願った。
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