千一夜物語
朧車の中では沈黙が流れていた。

黎と会ってからずっと感情的で冷静になれていなかった神羅と、澪のことをどう切り出そうか迷っているうちに桂に指を握られて可愛さのあまり頭が空っぽになってしまった黎――

その拮抗した空気を破ったのは、桂だった。


「ふぎゃ、まーっ」


「ああ、そろそろお乳の時間だったわね、よしよし」


一旦黎に桂を抱いてもらって羽織を脱ぎ、胸元を緩めようとした時――じっと黎に見られていることに気付いた神羅は、はっとして黎の頬をぐいっと押して顔を無理矢理逸らさせた。


「見ないで!」


「そんなこと言われてももう何度も見…」


「何度見られても恥ずかしいものは恥ずかしいの!」


仕方なく背を向けた黎は空気が和んだところで、切り出した。


「澪の件だが、許しを得た。後は直接本人から聞いた方がいい」


「そう…。全てちゃんと…話したのね?」


「話した。泣かれてやや感情的にもなったが、それ位は許してやってほしい。最後には笑ってお前たちを迎えに行って来いと送り出された」


「澪さんは本当に強いのね…」


乳を飲んで満足した桂の背中を叩いてげっぷを出してやった神羅は、胸元を正して黎の細い背中を見つめた。


本当に愛しくて愛しくて――

別れなければいけないから羞恥心を捨てて黎を求めた一夜。

あの時のことは全て覚えているが――黎はどうなのだろうか、とふと思った。


「黎…あの時のことを覚えている?」


「あの時?…ああ、お前に脱がされた夜か」


「!!言い方がいちいちいやらしいのよ!」


「もちろん覚えている。金輪際会わないと言われたから目に焼き付けたし、身体にも刻み込んで…」


「分かったから!もう言わないで!」


――ふたりは幽玄町の屋敷に着くまでぎゃあぎゃあ言い合いをして、澪に呆れられた。
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