記憶のかけら
温泉
「お帰りなさいませ!」

「ご首尾はいかがでしたか?」



わらわらと言葉を口にする人達が集まってきたけど、

みな馬上の私を見て口をつぐむ。



みんなが見てる中、

馬から下ろされ、

足元がふらつく。

普段使ってない筋肉が笑う。



サンダルは泥だらけ、

足は傷だらけ、

身体は汗まみれ

顔もきっと埃まみれ…



これからどうなるのか不安が募り、

自分の薄汚れた姿に惨めな気持ちになった。



男は建物から出てきた女性に、

「よし乃、こやつの世話を頼む」

私に向き直り、

「先ずは湯を浴びてすっきりしてこい」と言い残し、

周りにいた人たちとどこかに行ってしまった。



残された私は、

よし乃さんと呼ばれた女性に促されるまま、

サンダルを脱いで無言でついていく。



建物内部はとても静かで、清潔な空間だった。

地形を生かして建てられているようで、

分散している建屋は廊下で繋がり、

高低差は階段で結ばれ、

雨でもスム-ズに移動できるよう作られていた。



廊下の両脇からは、

苔むした石垣や花々が見え、

殺風景な風景にアクセントをつけている。

建物の一番奥に浴室があり、

かすかに硫黄の匂いがした。



温泉?

私が住んでた街に温泉はない。

ここはどこなの?

自分がどこにいるかわからないことが、

こんなにも不安になるなんて。

改めて、遠くまで来たと実感した。



かいがいしく動くよし乃さんを見ながら、

私より年上かな?

50代半ばくらい?

ぼんやり考えてると、

「お手伝い致しまする」と私の服を脱がそうとする。

それから、よし乃さんは固まった。



レース地のトップス、

ドレープのスカート、

どう身に着けているのか、

初めて見る珍しい生地に、

紐ではない着付け方に、

どうすれば良いのかわからず困った様子。



人は初めて見るもの、

初めての体験を前にすると、

ぎこちなく笑顔になるんだとわかった。



私は私で、お風呂は一人で入りたかった。

「一人で入れますので、お構い無く」と

小さな声で言ってみたけど、

「お舘さまのお言いつけです」と、

よし乃さんは首を横にふって譲らない。

仕方なく、よし乃さんの前で脱ぎ始めた。



真昼間に、

人前で、

素面で、

服を脱ぐことがあるとは思わなかった。



よし乃さんが、

スカートファスナーや

ブラジャーやパンティを

食い入るように、瞬きもせず見ていたから、

顔から火が出るかと思ったくらい、とても恥ずかしかった。



お風呂はやはり温泉だった。

天然の石を組んで浴槽が造られていた。

湯気の立っているお湯は透明ではなく、

茶褐色で熱い。

手拭いをお湯に浸すと、

みるみる赤茶色に染まった。



このお湯知ってる!

鉄分が多く含まれているから、布が赤茶色に染まるんだっけ?



傷によく効く、有馬温泉!?

ということは、兵庫県なの?

現在地が特定できた気がして、

一気に血圧上昇!



身体を洗うのもそこそこにお風呂から出た。

知りたいこと、

聞きたい事はたくさんあったけど、

きっと、

よし乃さんは答えてくれないだろう。

私をここに連れてきた男に聞くしかないと、決心した。



用意された着替えは、

手触りの良い単衣の着物だった。

着付け教室に通ったことを思い出しながら、

よし乃さんに手伝ってもらう。



肌身離さず持ってたバックから、

化粧ポーチを取り出し、

軽く化粧をする。

肩までの髪は、まとめてクリップで止めた。

その間、よし乃さんは何も言わず、私を見ていた。



身支度が終わると、

よし乃さんと一緒に廊下を渡り、

広間に連れていかれた。

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