FF~フォルテシモ~
***

 山田くんが蓮を連れて買物に行ってから、1時間が経過していた。微妙に落ち着かない。いくら信頼している部下とはいえ男なのである。山田くんに彼女がいると分かっていても、モヤモヤしてしまう。

「ただ今戻りました。遅くなってすみませんっ!」

 疲れた顔をしながら部署に戻ってきた山田くんに、そっと目配せする。

 彼が目の前を通り過ぎた瞬間、いい匂いが香ってきた。それは蓮が使っている香水の香り。

(どうして山田くんから、蓮の香りがするんだ?)

 思わず席を勢いよく立ち、山田くんを凝視してしまう。

「今川部長、どうしました?」

 きょとんとしている山田くんの席に近づき、コソコソ聞いてみる。何だか今の俺、大人げない。満員電車に乗って隣の人の匂いが、ついてくることだってあるのに。

「随分と疲れた顔をしているね。買物はどうでしたか?」

 当たり障りのない質問からしてみた。

「腕を引っ張り回されて、あちこち連行状態でした。俺には、朝比奈さんの相手は無理です。今川部長、ある意味尊敬しますよ」

「そうか。何もなかったんですね」

 引っ張り回されたから香りが移ったんだ、何だ。

 ホッとしてると、山田くんが嬉しそうに笑った。

「今川部長、いい顔してますね。俺にヤキモチなんか妬かないで下さいよ」

 ズバリと核心をついてきた。出来る部下を持つと上司は苦労します。

 山田くんの言葉に照れていると思い出した顔して、ポケットからヘアピンを取り出した。

「これ朝比奈さんの落とし物なんですけど、今川部長から渡してくれませんか? 今ならきっと秘書室横にある給湯室で、さっき買った物を片付けしてるハズですから」

「山田くん……」

「朝比奈さん何かブーブー文句言って、ひとりで怒ってましたよ。怒りを鎮めないと周りが迷惑しますので、宜しくお願いします!」

 ニッコリ微笑んで、俺の手にヘアピンを滑り込ませる。それをぎゅっと握り締め、踵を返して給湯室に向かった。
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