いちばん近くて遠い人
32.どこまでが夢?
 寝ている加賀さんを見つめて幸せを噛みしめる。

 やっぱり空耳じゃなかったんだ。
 あの会議室での「愛してる」も。

 耳に残る甘い「愛してる」の言葉に1人恥ずかしくなって枕に顔をうずめた。

 加賀さんから愛を囁かれる日が来るなんて思っても見なかった。

 嬉しくて涙が出そう。

 重ねた肌の温もりも愛おしくて恥ずかしくて加賀さんの寝顔を見ては枕に顔をうずめるのを繰り返した。

 まどろんだ時の中で加賀さんがまぶたを開けて微笑んだ。

「おはよ。南。」

「おはよう、ごさいます。」

 一緒に朝を迎える。
 今までも何度かあるのに今日はなんだかとても恥ずかしい。

 目を伏せた加賀さんが私を引き寄せて優しいキスをして言った。

「これでお別れにしよう。」

「………え?」

 空耳?

 加賀さんは用意された台詞を読むようにスラスラと話し始めた。

「あんな打ち明け話までしといて何を言ってるんだって思うよな。」

 戸惑いながら頷いてみせる。

「海外赴任の申請はずっと出していて先日、やっと通った。
 海外でもう一度、勉強したかったんだ。」

 海外赴任するから別れようってこと?

「嘘……ですよね?」

「本当。」

 愕然として思わず加賀さんから距離を取った。
 顔の表情を、ちゃんと加賀さんを見たかった。

 真剣な眼差しを向ける加賀さんはなおも言った。

「俺の過去とか何も話さずに手も出さずに消えるのが一番なのは分かってた。」

 私の顔にかかっていた髪を愛おしそうに手ですいて耳にかけた。

「なのに……ごめん。」

「謝らないでください。」

 謝られると余計につらい。

「遠距離なんて無責任なことしたくないんだ。」

 どこまでが現実で、どこまでが夢?

「どうして、急に………。」

「海外赴任の候補に上がっていて、決定を聞いたのは3日前くらいだ。
 予定している期間は1年。」

 行かないで。
 そんなこと言えなかった。

 どうしてこのタイミングで………。
 神様がいるのなら恨みたい気分だ。

「……待ってちゃダメなんですか?」

 本当は待ってなんかいたくない。
 やっとつかんだ手を離したくない。

 すぐ隣にいても遠く感じる加賀さんと離れたくない。

「ごめん。それはやめよう。」

 加賀さんは謝ってばっかりだ。







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