人魚のいた朝に

ひりつくほどに燃え上がり、満開の花火が夜空を飾り、零れた涙は海が隠していく夏。
口に含んだ氷のように、恋い焦がれた夏は、今年も一瞬で通り過ぎていく。

君と過ごす時間はいつも、苦しくて愛おしい。




「もう、帰ってこうへんかと思った」

「どうして?」

「・・・うちが、あんなこと言うたから」

八月最後の日曜日、僕は故郷である福井の小さな町に帰って来ていた。
小学五年までは東京に居たのだから、本来「故郷」と呼ぶべきなのはここではないかもしれないけれど、だけど振り返った記憶の半分以上はこの町での出来事だから、きっとこれから先何年と経っても、僕はこの町を故郷と呼ぶだろう。

「あんなこと言われたから、帰ってきたんだ」

「・・・」

「時間は、かかったけど」

朝の五時。待ち合わせたのは、始めて彼女と会った小さな路地だった。

「昨日、帰ってきたの?」

「ああ、夜中に着いた」

「そう」

「たまには、日の出を見ようかと思って」

車椅子のハンドリムを握る初空の後ろに回り、海に続く道をゆっくりと押して歩く。
彼女との時間はいつも、一秒さえも永遠のように長く感じる。
だけどいつも、その時間の終わりが来る頃には、一時間ですら一瞬の出来事に思えるから不思議だ。
きっとこの不思議な感覚こそが、この想いが恋であることの証明なのだろう。

「寒くない?」

八月とは言え、この時期になれば朝は少し肌寒くなる。
薄手のストールを肩に掛けた初空に聞くと、彼女は「大丈夫」と頷いた。
春に会った時よりも、髪が伸びた。色も少し明るくなった気がする。
可愛いらしいよりも、美人と言われた方がしっくりとくる顔立ちも、どことなく丸みを帯びた身体つきも、全てがあの頃とは違う。
日々、僕らが息をする限り、変化は止めどなく訪れる。
外見も、生活も、好みや思考も、全てのことが知らず知らずのうちに変わっていく。

だけどその中で、変わらないものもある。
変わらない想いもある。

変わらないで欲しかった。

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