運転手はボクだ
・プロローグ
…ん?

車が停まったようだった。ここの家の人かも知れない。カツカツと靴音が、人が足早に近づいて来てる。

「君、大丈夫?具合でも悪いんじゃ…」

頭に軽く手が触れた。

「あっ、いえ。ごめんなさい。勝手にお邪魔してしまって」

顔を伏せてしゃがんでいたから心配されたんだ。慌てて立ち上がった。

「…あ。あの、すみませんでした。…具合が悪いとかではなくて、雨宿りをさせていただいていました。本当に勝手にごめんなさい。直ぐ退きます」

肩から落ちていたバッグの紐を掛け直し、言い訳をした。
大きな門構えの、御屋敷って感じの家だった。
帰り道、いきなり降りだした雨に、私は傘を持ち合わせていなかった。目の前に屋根のある門が見えた。だから走り込んだ。
それから暫く、門の端で雨宿りをさせてもらっていた。

「ここ、俺んちじゃないから」

「…え?」

少し笑顔で言われた。

「学生さん?じゃないよね。仕事帰りだよね、あ、ちょっと待ってて?」

少し手前で停められていた黒塗りの高級車に急いで戻って行った。
雨粒は車体からコロコロと流れ落ちていた。よく手入れされてる車だと思った。
濡れた車体は余計に黒さが増しているように見えた。
何て言うんだっけ、こんな黒色の事…漆黒、そう、漆黒だ。吸い込まれそうな深い黒…。

「通り雨だからね、多分、もう直ぐ止むと思うよ。はい、傘よりこれ、良かったら使って?」

戻って来て渡されたのは凄くフワフワと柔らかい白いタオルだった。匂いも柔らかいモノだった。

「あ、あの、えっと、これ…」

そんなには濡れていなかったし、あまりの親切な行為にただただ戸惑ってしまった。

「鮫島」

「はい。
遠慮なく使って?」

窓ガラスがスーっと下がったと思ったら彼を呼ぶ声がした。男性の声に答えてまた車に戻って行った。
なにやら二言三言、会話をしているようだった。はい、解りました、という声だけがはっきり聞こえた。

後部のドアが開いた。革靴を履いた脚が見えた。男性が降りたったようだ。…あっ、あまりじっと見てはいけないだろう。
間髪入れず差しかけられた傘の柄を握ると、真っ直ぐ御屋敷の中へ入って行った。
…離れた場所を通ったのに何か…、オーラと言うか、圧のようなものを感じた。

もしかしたら、いつもはこの中まで車で入るのではないかと思った。きっとそうだ…私が居たから、一旦停まったって感じ。
雨なのに…益々迷惑をかけてしまったと思った。どうしよう…。
私なんかに声を掛けたせいで、この男性は叱られたという事は無いのだろうか。

「あの…ごめんなさい…私が」

「ん?どうして謝るの?乗って?」

「え?」

…どういう事?

「ふぅ。あー、あ゛ーー、ふぅ。…送るよ」

あ。腕を上げ伸びをすると、ネクタイを少し緩め、向けられた顔はスッキリとした笑顔だった。

「え?!あ、の…」

確か、送るって、言ったような…。

「仕事は今終わったから。送るよ、さあ」

今、閉めたばかりのドアを開けて待っていた。え…私を?

「乗って?濡れてしまうから、早く」

え、でも、意味が解らない。送ってもらうなんて…とんでもない。
雨はもう小降りになりつつあった。

「あの、でも」

「んー、やっぱり不審を抱くよね。じゃあさ、最寄りの駅までとか、行きたいところで下ろすから。さあ、遠慮なく、さあ」

…でも。こんな…高級車…。ううん、それだけが躊躇する理由ではない。それは、何となくでも解ってもらえていたからだろう。
だから、敢えて、最寄りの駅までとか、行きたいところ、と言ってくれたのだ。
それでも、知らない人の車には、いきなり乗れるものではない…。
< 1 / 103 >

この作品をシェア

pagetop