初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 ジャスティーヌの部屋の扉をノックすると、すぐに返事が返ってきた。アレクサンドラは扉を開けて中に入ると、窓辺のカウチから登り始めた月を見つめるジャスティーヌのそばに歩み寄った。
「隣に座っても?」
 昔のアレクサンドラなら、声もかけずにドスンと腰を下ろしたものだったが、レディになったアレクサンドラはおとなしくジャスティーヌの返事を待った。
「もちろん」
 すぐにジャスティーヌが答え、アレクサンドラはゆっくりと腰を下ろした。
 ロベルトと距離を置いてからのジャスティーヌは、当然の事ながら、元気がなく沈んでいた。
 アントニウスからの連絡が途絶え、自分から連絡することを躊躇い、結局夜会にも姿を見せずに屋敷に引きこもるアレクサンドラに倣うように、ロベルトと鉢合わせするかもしれない場所に近寄ろうとしないジャスティーヌも屋敷に一緒に籠城していた。

「アントニウス様は、会いにいらしたのね」
 アレクサンドラが口を開こうとした瞬間、ジャスティーヌが言った。
「ああ、ジャスティーヌは先に話したんだよね?」
「ええ、ほんの少しだけ・・・・・・。結婚を申し込まれたのに、帰国なさるなんて、やはり、王族の方々の考えることは私にはわからないわ」
 ジャスティーヌの言葉に、アレクサンドラは言葉を探した。
「仕方ないよ。戦争が始まるから陸軍の参謀として戦地に向かわれるって」
「えっ!」
 ジャスティーヌが珍しく素っ頓狂な声を上げ、アレクサンドラの方を振り向いた。
「戦争ってどういうこと? まさか、イルデランザとエイゼンシュタインが? そんなはずないわ、だってマリー・ルイーズ様が嫁がれたのに・・・・・・」
「違うよ、うちとじゃない。反対側の国だよ」
 全般的に勉強を怠り剣の練習に精を出していたアレクサンドラには、さっき聞いたポレモス共和国という名前も知らない遠い国の一つに過ぎなかった。
「ポレモスね。確かに、うちに出入りしている商人たちも当分、イルデランザの方はきな臭いから仕入れにも、卸にも行きたくないというようなことを話していたのを聞いたわ」
 アレクサンドラと違い、昔から厨房に出入りする業者から、無理難題を聞いてもらうために出入りの仕立て屋や装飾品をとり扱う商人たちとも言葉を交わし、社会情勢に注意を払っているのがジャスティーヌだった。
 馬蹄や鍛冶屋とは付き合いのあったアレクサンドラだったが、アレクシスでなくなった今、家族の他に付き合いがあるといえば、家令をはじめとする家の使用人たちの他は、アントニウスくらいだった。
「ポレモスはかなり強引な蛮族よ。イルデランザはあらゆる手でポレモスからの侵略を防ぐために、色々な政治的な回避策を取ってきたのよ。本当なら、大公のご子息のシザリオン様やアントニウス様も、政略結婚の対象のはずよ。エイゼンシュタインとだけでなく、グランフェルド公国とも同盟を結び、血縁関係を持つことによって強固な関係を築くためには、政略結婚は回避できない重要な手段ですもの」
 ジャスティーヌの言葉に、アレクサンドラはドキリとした。いくら世情に疎いアレクサンドラといえ、グランフェルド公国にアントニウスとも年齢の釣り合う大公女がいることは知っている。自分とアントニウスが釣り合わないことを考えると、アントニウスには大公女との結婚の方が相応しいのではないかと、思わずにはいられなかった。
「大公はアントニウス様との結婚を望まれていらしたようだけど、大公女はアントニウス様の山ほどの浮名が気に入らないと、話をご破算にしたという話を聞いたわ」
「アントニウス様を袖にしたの?」
「袖にしたというよりも、アントニウス様が大公女に興味がなくて、嫌われるように努力したというほうが適切かもしれないわ」
 自己主張の強いアントニウスらしいなと、アレクサンドラは思わず笑みを零した。
「ずっと、誤解していたみたい」
 ぽつりと呟くように言うアレクサンドラに、ジャスティーヌが首をかしげた。
「私、ずっとアレクシスだったころ、ロベルト殿下は、遊び人だって思ってた。だから、
絶対にジャスティーヌに近づけたくないって。そう思っていたけど、誤解だったみたい」
「どうゆうこと?」
「だって、アントニウス様から聞いたの。ロベルト殿下は決してジャスティーヌの事を諦めるつもりはないって」
「でも、私は相応しくないわ。もっと、両家の娘を妻に迎えられるべきよ」
 ジャスティーヌは静かに言った。
「あのね、王太子としてはそうなのかもしれない。でも、ロベルト殿下は、ジャスティーヌに恋してる」
「そんなこと・・・・・・」
「ロベルト殿下は、ジャスティーヌが結婚を承諾してくれないのなら、一生独身を貫くって決心したみたい」
「そんなこと、許されないわ、王太子なのよ」
「でも、絶対にジャスティーヌ以外を妻にするつもりはないって、宣言したみたいだわ」
「そんなこと・・・・・・」
「別にさ、ジャスティーヌを困らせたり、苦しめたりするつもりはないだよ。ただ、自分が愛する人を妻に迎えたいって、そういう想いだけなんだよ。だから、一度、断るにしても、ちゃんと殿下に会っておくべきなんじゃないかな。私が知ってるロベルト殿下なら、有無を言わせずにバラの花束を送りつけて、婚約を正式なものにしてしまうような強引なところがあったけれど、ジャスティーヌだけには強引なことはしたくないみたい」
 アレクサンドラの言葉に、今日も届けられ未だ開封していないロベルトからの手紙をジャスティーヌは見つめた。
「手紙、読んでみたら?」
「やっぱり、開封しないで送り返すのは失礼過ぎるわよね」
「そういうことじゃなくてさ、相手の気持ちを知ることも大切じゃない?」
「へんね、アレク。あなたと話している気がしないわ。あなたは、もっと違うことを言うと思っていたのに」
 ジャスティーヌは少し困ったように言った。
「私は、ジャスティーヌに幸せになってもらいたいだけ。アントニウス様は、ロベルト殿下に幸せなってもらいたいと話していたよ」
 アレクサンドラの言葉に、ジャスティーヌは大きなため息をついた。
「なんか不思議ね。この間まで、アレクは口が悪くて、いつも私がアレクの言葉使いを直していたのに、今は、もう立派なレディ。アレクはすごいわ。こんな短時間で完璧なレディになるなんて、あんた以外にはありえないわ」
「ライラには、しごかれたからね」
「でも、あそこまですっぱり決心するなんて、私はアントニウス様が関係あると思ったんだけど、どうなの? 本当は、アレクもアントニウス様を好きなんじゃないの?」
 ジャスティーヌの言葉は、アレクサンドラ自身、答えを見つけられずにいる問いだった。
「私とアントニウス様は、いい友達だよ。ジャスティーヌとロベルト殿下とは違うんだ」
「どういうこと?」
「私は、アントニウス様を好きになっちゃいけないんだ。だって、アントニウス様は、いずれ大公を支える補佐役になるわけだから、ジャスティーヌみたいに賢い女性を妻に迎えるべきなんだよ。だから、私が好きになっても、それは伝えてはいないんだ」
「そんな! それを言ったら私だって・・・・・・」
「何言ってるの! ジャスティーヌは同盟列強六ヶ国の言葉を話し、経済や国際関係にも精通しているでしょう。生まれは、私と同じ傾いた伯爵家の令嬢だけど、立派な王妃になれる素質があるよ。だから、ロベルト殿下はあきらめたくないんだ。これが、相手が私だったら、諦めて他の女性を妻に迎えると思うけど、相手がジャスティーヌだから、諦められないんだよ」
 アレクサンドラの言葉を聞きながら、ジャスティーヌはロベルトからの手紙と窓の外を何度となく視線を巡らせては視線が封筒の上で止まってしまうのを止められなかった。
「部屋に戻るね」
 伝えたいことを伝えたアレクサンドラは言うと、続きの扉を越えて自分の部屋へと戻った。


 アレクサンドラを見送ったジャスティーヌは、ゆっくりとカウチら立ち上がるとロベルトからの手紙が置かれた文机に向かった。
 自分だの片想いではなく、ロベルトから愛されているという実感もジャスティーヌにはあった。しかし、あの王族一体となってのアーチボルト伯爵家を愚弄するような発言をした者への報復とも呼べる行為は、ジャスティーヌを不安にこそすれ、王家に温かく迎えられるという歓迎には受け取れなかった。
 ゆっくりとペーパーナイフを手に取ると、ジャスティーヌはしばらくぶりにロベルトからの手紙の封を開けた。
 手紙には、アントニウスから話してくれたこと、そして、アレクサンドラがアントニウスから聞いたというのとほぼ同じ内容が綴られていた。

『ある国で、真の愛を貫くため、夫の死後、残された夫人が将来独身を貫き、二夫にまみえずという言葉がありますが、私にとっては、ジャスティーヌ、あなたとの未来は、これから決められる婚約や、結婚式などという王太子としての体裁を守るために取り決められる行事を経て始まるものではなく、互いに記憶を確かめ合い、互いの愛が真実であったと認めた時から始まっていると思っています。ですから、もし、あなたが私に嫁ぐことに不安を抱え、とても王太子の妻になど望まれたくないとお思いならば、私は生涯独身を貫き、あなた以外の妻を娶らない事を近々、父上に報告し、場合によっては王太子の任を解いていただく覚悟です。幸運にも、公爵家には数人の男子がおり、年齢は私より若いですから、これからまだまだ帝王学や、必要な学問を修め、いずれこの国の王太子として認められるにふさわしい人材に育つこともできると信じています。ですから、私は、あなたとの夫としてこの世を去るのではなく、あなた以外の夫として、この国の王として人生を全うするようなことは望みません。例え、どのようにつらく苦しい未来が待っていようとも、あなたを失うことより他に私が恐れることはありません』

 どちらかといえば情熱的な愛の手紙が多かったロベルトとは思えない、静かで落ち着いた内容の手紙だった。それだけに、ロベルトの堅い決意を感じることができた。
 ジャスティーヌは大きく深呼吸をすると、文机の引き出しから自分のイニシャルとアーチボルト伯爵家の紋の入った便箋を取り出した。
 ロベルトへの手紙は、受け取った手紙と同じように、愛をささやく甘い手紙ではなかったが、ジャスティーヌは直ちに王族が一致団結して行っている一部の貴族への制裁をやめてくれるようにと請願した。そして、もし、そこまでロベルトが思いつめ、王太子の座すら捨てても構わないと本気で思っているのであれば、気持ちを確かめるために、一度、夜会のような人の多い場所ではなく、静かに語らえる場所で、例えば、王宮の東宮殿の庭でお話がしたいと記し、封をした。
 赤い封蝋に、刻まれた『J』の飾り文字を見れば、ロベルトには手紙が誰から来たのか、そして、それが今までのような未開封の手紙の返送ではないことがわかるはず立った。

 ジャスティーヌは呼び鈴の紐を引きライラを呼ぶと、真っ白な純白のバラの花を一本添えてロベルトに送ってくれるように申し付けた。
 やっとまともな返事を書いたと言わんばかりの安心した表情のライラに、自分のわがままが、自分に仕えるライラにも大きな迷惑をかけていたことをジャスティーヌは改めて感じた。
「ライラ、夕食は部屋で取りたいの。手紙の手配をしたら着替えを手伝ってちょうだい」
「かしこまりました。直ちに戻ってまいります」
 ライラは一礼すると手紙をもって部屋を後にした。

☆☆☆

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