初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 部屋に戻り、一人窓の外の月を見上げていたアレクサンドラは、もうアントニウスと二人で月を見上げることも、夜会で婦人方にため息をつかせるような素晴らしいエスコートのアントニウスとダンスを踊ることもないのだと思うと、後一、二回、夜会に顔を出しておけばよかったと後悔した。
 馴染みのあるアントニウスのお気に入りの銀糸の刺繍があしらわれたコートは、アレクサンドラの涙を誘った。
 このコートが忘れ形見なのだと、もう二度とアントニウスの愛の告白を耳にすることも、あの逞しい腕にだかれ、甘い言葉に心臓の鼓動が早鐘のように打つことも、秘密をまもり、アレクサンドラがレディになるために尽力してくれたお礼にその身をささげることもできないのだと思うと、アレクサンドラの瞳から涙があふれた。
 恋をしていたつもりはないのに、愛していたはずはないのに。そう心の中で必死に自分の感情を抑え込もうとしたが、涙はあふれ続け、アレクサンドラは自分が本当はアントニウスを慕っているのかもしれないと、自分でも思いはじめていた。

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