初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 最前線から十キロ程離れた地点にキャンプを設営したアントニウス達は、長い移動と慣れないテント生活に腰を痛めながらキャンプ中央に設営された戦略参謀室へと集まった。戦略参謀室に集まったのはペレス大佐以下、陸軍歩兵部隊第三師団第九連隊の主だった面々が集まっていた。
 アントニウス達を追いかけるように首都から送られた伝令から受け取った作成資料を見ながら、アントニウスはこの戦いが今までのような簡単な戦ではないことを悟った。
「ペレス大佐、大公からの勅命です。我々は予定を変更し、本拠点を撤収し、最前線にいるセルジオ・サマラス少将の隊に合流するようにとの事です」
 アントニウスの言葉に、移動で疲労の色の濃かった士官の顔は驚きに変わった。
 誰から見てもアントニウスは現皇嗣のシザリオンに続く大公位継承権第三位、何があっても最前線に送られる隊に身を置く人物ではなかった。それ故、その場にいた全員が耳を疑ったが、アントニウスは『とうとう、この時がきたか』という顔をしているだけだった。
 大公からの勅命ということもあり、一行はこの地をベースキャンプとするのではなく、一晩の野営地とし、明日の朝には解いたばかりの荷を再びまとめて最前線まで一キロの距離に展開されている最前線キャンプに合流する事となった。

 この決死の作戦に関しては、以前から大公と、そして参謀総長である父と話をしたことがあった。幾度も繰り返される戦を二度と再び起こらぬようにするため、今度こそポレモス共和国に絶対的劣勢である事を思い知らせるための作戦だ。
 綿々と受け継がれてきたイルデランザ公国とは違い、王政時代は王位を簒奪する者が続出し、国は安定せずガタガタなところへ重税を課せられた国民の怒りが頂点に達し、王政打倒を打ち出す国民の一派が最終的には王位簒奪争いの再開を恐れた国民により王位継承権を持つものは全員、女子供の区別なく処刑された。そして、統制の取れなくなった国は無法状態を経て一部の熱狂的な信者のような集団が率いた男が皇帝を名乗るようになった。
 一見、思慮深く、国を統率できる男のように見えたのに、男は皇帝の座を得ると、途端に豹変した。そして、圧政を敷き、国は王政当時よりもより好戦的になり、イルデランザ公国の平和は前よりも脅かされるようになった。
 繰り返される国境線での戦いは、回を重ねることに国境線に配置されている各部隊の士気は下がり、最近では小競り合いで国境線が脅かされることも多くなってきた。そのため、最悪の場合には、士気をあげるためには大公に連なる一族が最前線に赴くことが必要になると、エイゼンシュタインに向かう前に大公から直々に話があった。

「大尉、テントの準備が整いました」
 アントニウス付きのヴァシリキが、食事を終えたアントニウスの所へやってきて報告した。
「わかった。お前も食事をとり、少し休憩するといい」
 アントニウスは言うと、ヴァシリキが整えたテントへ移動した。
「さすがに、このテントは伯爵にはきついだろう」
 テントに入ろうとしていたアントニウスの背中からヤニスが声をかた。
「これは、大佐。ご心配、痛み入ります」
 振り返ってアントニウスが言うと、ヤニスは笑って見せた。
「これで前線の部隊の士気が上がってくれればいいのだがな」
 さすがに、子爵家の五男から大佐にまで上り詰めたヤニスには、疲弊した最前線の兵士たちの気持ちがよくわかっているようだった。
「ここまできたら、前線に出る覚悟もできました」
 アントニウスの言葉に、ヤニスは『心強いな』と言いながら自分のテントの方へ歩き去った。
 アントニウスは空を見上げ、はるか遠くの空の下にいるアレクサンドラに想いを馳せ、テントの中に潜り込んだ。


 翌朝、設営したばかりの拠点を畳んだアントニウス達の部隊は、午後になり最前線基地に合流した。移動途中で昼食を済ませていたアントニウス達は、午後三時を以て正式に前線部隊に合流し、待機命令に従い、各自テントで披露した体をやすめた。

 つかの間、アントニウスはテントの中に用意された組み立て式の木製寝台に体を横たえたものの、すぐに起き上がりアレクサンドラに手紙を書き始めた。
 毎日手紙を書くつもりだったか、さすがに最前線へと向かう行軍の途中では手紙を書くこともままにならず、数日がかりで書いた手紙が手元に数通溜まっていたので、それと合わせて基地から首都へと手紙を定期的に運ぶ担当に手紙を託すことにした。
 愛を綴るよりも、現状をただ報告したいという思いがあったが、さすがに軍の動きを記すことはできず、アントニウスは前線に赴いたことと、まだ安全だと言うことだけだった。

 アントニウスが自分のテントを出ると、ヴァシリキが入り口脇で控えていた。
「大尉!」
 ヴァシリキの声に、アントニウスは楽にするようにヴァシリキに手ぶりで指示したが、ヴァシリキはアントニウスが手に持った手紙を目にすると、すぐに受け取ろうとした。
「いや、これはいい。自分で通信部に持っていく、私信だから・・・・・・」
 ヴァシリキに言うと、ヴァシリキはまじめな顔で『自分が持って参ります』と言った。
 ヴァシリキにしてみれば、私信であろうが公的な手紙であろうが、側付きのヴァシリキが運ぶのは当然だった。
「ヴァシリキ、君は執事ではない。側付きとはいえ、私のプライベートな用事まで行う必要はない。君は軍にかかわる仕事だけを手伝ってくれれば、それだけでいい」
 アントニウスは言うと、手紙を片手に通信部のテントへと向かった。


「これを屋敷まで・・・・・・」
 アントニウスが手紙を差し出すと、通信部の隊員は手紙を受け取り、郵便局のように手早く処理を始めた。
「メルクーリ大尉、お手紙をお預かり致します」
 隊員は受取証を発行するでもなく、アントニウスの手紙を手慣れた手つきで麻袋にしまった。
「よろしく頼む」
 アントニウスが礼を言い、自分のテントに戻ろうとしたところへアントニウス付きの通信官であるディスマスが書状を持ってやってきた。
「大尉、指令書でございます」
「ディスマス、確かに受け取った」
 書状を受け取ると、アントニウスは自分のテントに戻り、書状を広げた。

 指令書には本作戦の概要と、各部隊が所定の位置に就いたことが記されていた。また、今回のポレモスとの戦いに関し、正式に同盟六ヶ国に対して、ポレモスに宣戦布告することの同意を取り付けるための廻状を回し、同盟国の賛同と後押しを受けた旨が記されていた。
 そして、最後の行に、明日の午前九時を以て、正式にポレモスに対して宣戦布告ののち、南部海岸線、中部国境線、北部山岳部の三ヶ所から同時に進撃を開始と記されていた。
 参加国同時の一斉攻撃、今まででは考えられない規模の進撃にこれで負の連鎖を止めたいという大公の思いが感じられた。
 大きく深呼吸すると、アントニウスはテントを出て、司令部に作戦の内容を報告に向かった。

☆☆☆

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