初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 窓辺のカウチにお尻を軽く置くようにして座り、空の月を見上げるアレクサンドラの姿は、どこから見ても深窓の令嬢という表現がぴったりで、それでいて憂いのある姿は、人の心を掴んで離さないような魅力を放っていた。それは、輝くように暖かい光を放つジャスティーヌとは対照的で、まさに太陽と月のようだった。
 続きの間からノックをして入ってきたジャスティーヌは、その憂いのある姿に、かける言葉を探しながらアレクサンドラに歩み寄った。
「どうしたの、ジャスティーヌ。もしかして、また、お父様の結婚話から逃げてきたの?」
 振り向きながら問うアレクサンドラの瞳が潤んでいないことにジャスティーヌは少し安心した。アレクサンドラは、アレクシスであっても、アレクサンドラであっても、決して簡単には涙を流さない。そのアレクサンドラがアントニウスの帰国によって、涙を流すとしたら、ジャスティーヌはロベルトとの結婚話をできる限り引き伸ばしたいと考えていた。生まれてから一度も離れたことのない双子の妹、アレクサンドラを置いてどこにも行きたくないと、そう心の底から思っていた。
「今日の殿下からのお使者、ジャスティーヌと二人にしてくれって言ったんですってね。ライラが凄く狼狽えて、あんなにおろおろする姿を見たのは初めてだったわ。それに、そのあとのお父様のお怒りの声、この部屋まで聞こえてきたのよ」
 ジャスティーヌの事を穏やかな瞳で見つめるアレクサンドラは言うと、いつもより幸せそうな顔をしたジャスティーヌに言った。
「あれは、実は、殿下本人だったの・・・・・・」
「えっ? 殿下本人?」
 驚いたアレクサンドラの声は、アレクシスだった時を思い起こさせるような響きがあった。
「どうやって王宮を抜け出したの?」
 問いかけながら、アレクサンドラは王太子のくせに、夜な夜な遊び歩いていたんだから、いまさら抜け出せないはずもないかと、心の中で思った。
「それが、お父様も最初は殿下だと気付かなくて、殿下からの使者が私に無体な事をしていると思ったらしくて、殿下に掴みかかったのよ」
「お父様が?」
「ええ、でもすぐに殿下だとわかって、大変な事にはならなかったの」
 ジャスティーヌは楽しそうに話し始めた。
 その話を聞きながら、アレクサンドラは久しぶりに笑みを零した。
「これで、ジャスティーヌは幸せになれるのね」
 アレクサンドラの言葉に、ジャスティーヌは少し複雑な表情を浮かべた。
「ねえ、アレク。訊いてもいい?」
 ジャスティーヌの問いに、アレクサンドラは頷いた。
「アレク、アントニウス様との事なんだけど・・・・・・」
「前にも話したでしょ。ジャスティーヌが心配するようなことは、何もないわ」
「でも、もしそうなら、お父様の所にお話が来ている縁談を聞く前にお断りするのは・・・・・・」
「あのね、ジャスティーヌ、私の社交界デビューのために、どれほどアントニウス様が大変な思いをして助けてくれたか、それを考えたら、他の方に嫁ぐなんてできないわ」
 アレクサンドラの言う事は最もな事で、このままアレクサンドラが他の誰かに嫁いだら、それこそ口さがない貴族達が何を言うか、王族の面々がどのような仕打ちをするか、それを考えると、ジャスティーヌにはアレクサンドラに結婚の話を勧めることはできなかった。しかし、せっかく男装を止め社交界にデビューし、誰の目にも好ましいレディとなったアレクサンドラをこのまま一人、屋敷に残して自分が嫁ぐことは考えたくなかった。しかし、陛下の勅命で始まったロベルトとの見合いの結果を出さないまま、ずるずると引きずることはできなかったし、いつまでも父に迷惑をかけ続けることもできなかった。
「ジャスティーヌ、私にかまわず、幸せになってね。ジャスティーヌが幸せでいてくれたら、私はいつも幸せでいられるから」
 優しく微笑むアレクサンドラに、ジャスティーヌは胸が締め付けられるように苦しくなった。それでも、ジャスティーヌはアレクサンドラを心配させないように、努めて明るくふるまって見せた。
 アレクサンドラは窓の外に再び目をやると、静かに窓の外の月を見つめ続けた。ジャスティーヌはアレクサンドラの元を去り、自分の部屋へと戻っていった。


 翌朝、王宮から早馬が送られ、慌てて王宮に参内したアーチボルト伯爵が持ち帰ったのは、ジャスティーヌとロベルトの結婚話ではなく、イルデランザ公国がポレモス共和国に正式に宣戦布告し、両国の戦いの火ぶたが切って落とされたという衝撃的な知らせだった。
< 175 / 252 >

この作品をシェア

pagetop