初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
「痛い! いたたたたた、痛い!」
 一歩動く度にアレクサンドラの悲鳴とも叫びともいえる声が屋敷の中に響いたが、その声を聞いてそれが淑女の上げた声と思う者は誰もいなかった。
「なんと言うことでしょう」
 母としては、娘の怪我はもちろん、情けなくも上げられる淑女とは思えぬ叫びにも頭と胸を痛めていた。
「まさか、鞍留めの金具が壊れるとは・・・・・・」
 怪我と馬と馬具の事ばかりが頭に浮かぶ伯爵は、隣で睨む妻の怒りが今にも爆発しそうなことに気付いていなかった。
「アレク、お医者様がゆっくり休めば大丈夫だって、仰っていたわ」
 優しくジャスティーヌが言うと、アレクサンドラはジャスティーヌの事を見つめた。
「良かったよ、僕と一緒に馬に乗っていなくて。もし、僕の馬に相乗りしていたら、ジャスティーヌまで大怪我したところだよ」
 その慈しむようなアレクサンドラの瞳に、ジャスティーヌは頭を横に振った。
「そんなことないわ。私だって痛いのよ。こんな痛々しいあなたを見たら、私の体もまるで馬から落ちた気がするわ」
「優しいんだね、ジャスティーヌ」
「アレク・・・・・・。どおしたの? なんだか変よ?」
「先生がおっしゃっていらしたでしょう? 頭を打ったかもしれないのよ。とにかく、アレクサンドラは安静にしていなさい。ジャスティーヌは、アレクサンドラが休む邪魔にならないように、自室に戻りなさい」
 母の言葉に、ジャスティーヌは素直に『はい』と答えて続きの扉から姿を消した。
「では、私もじゃまにならぬよう、失礼することにしよう」
 伯爵は言うと、素早い動きで部屋を去っていった。
「お母様」
「なぁに、アレクサンドラ」
「もしかすると、明日、アントニウス殿が、見舞いにいらっしゃるかもしれない」
 アレクサンドラの言葉に、母はしばらく腕を組んで考え込んだ。
「本当は、怪我をして休んでいる結婚前の娘の部屋に殿方を入れるのは反対ですが、相手が殿下のお従兄君となれば話は別です。いつも、アナタの賑やかなお友達が訪ねてきたときに使う北の棟の部屋の掃除をさせておきます。あなたは、とにかく体を休めなさい」
 鶴の一声に、アレクサンドラは静かにベッドに横になった。
 扉が閉まり、母の姿が消えると、すぐに続きの間からジャスティーヌが戻ってきた。
「アレク、本当にビックリしたわ。でも、どうして急に早駆けなんて話になったの?」
「ごめん、ジャスティーヌ、いまは休みたい」
 馬に関わる言葉を聞いていると、無様にも落馬し意識を失い、気付かないうちに女である自分の素肌を異性に見られた事が頭に何度もフラッシュバックし、アレクサンドラはどんなに男のふりをしても、やはり自分は女であることから逃げられないのだと思い知らされるだけだった。
 激しい羞恥と後悔、もしアントニウスがロベルトに秘密をはなしたらと思うと、自分のみ愚かな行動をどうやって償えるだろうかと、アレクサンドラは思い悩んだ。
「じゃあ、部屋に戻るわ」
 ジャスティーヌは、寂しそうに言って部屋に戻っていった。
 日頃から何かと衝突することの多かったロベルトなら、この一件を王室に対する侮辱と取るかもしれない。また、親しいブリッジ仲間と父に心を許していると思われる国王陛下も真実を知ることになれば、不敬や侮辱は言うまでもなく、最悪は叛逆と思われるかもしれないと思うと、アレクサンドラは所領で静かに暮らす民のことや、父に使える下々の者までが路頭に迷う危機を自分が招いているのだと痛切に感じていた。

(・・・・・・・・ジャスティーヌはどうなるんだろう・・・・・・・・)

 王室を侮辱した妹と、王に叛逆した父を持ったジャスティーヌは、最早、社交界の華ではいられない。そうなれば、当然、ロベルト王子との見合いも立ち消え、一人寂しくどこかの修道院に入るしかなくなるだろう。
 考えると、アレクサンドラは涙が止まらなくなった。

(・・・・・・・・全部私のせいなのに、ジャスティーヌは何も悪くないのに・・・・・・・・)

 ジャスティーヌのことを考えたアレクサンドラは、明日、アントニウスからどのような要求をされても、黙って従う覚悟を決めた。

(・・・・・・・・ジャスティーヌの為なら、何だって出来る、たとえ、私の純潔を奪われたとしても・・・・・・・・)

 アレクサンドラは、ギュッと拳を握って覚悟を決めた。


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