初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 結婚して二十年以上、暮らし向きが楽だったことは記憶する限り一度もなく、常にどこを切り詰めて、どこにお金を回すか、考えに考えあぐねて過ごしてきたアリシアだったが、とうとう本当にどうしようもない絶体絶命と言うべき状況に至り、今まで何度か脳裏を横切ったことはある物の、一度も実行に移したことのなかった、実家に頼るというカードを切るしかないと、朝食の席で腹をくくった。
 健気にも、たった一枚しか着れるドレスのないアレクサンドラは、ドレスの上からメイドのエプロンをかけ、朝から卵料理と格闘し、キノコ入りのオムレツをテーブルにばらまきながらやっとの事で朝食を食べていだが、あの調子では、ジャスティーヌのドレスが着られるようになるには、半年はかかるだろうとアリシアはため息をついた。
 唯一の望みは、アレクサンドラとジャスティーヌが同じサイズになり、ドレスを交換して着ることができるようになることだったが、それが半年も先になるのかと考えると、もう他に頼れるところもあてもないのアリシアは、悲しいを通り越し、絶望しそうだった。
 実際、実家に頼みに行ったところで、せいぜいがドレス一枚分になればいいが、最悪は、ドレスはドレスでも、晩餐会用ではなく、普段用のドレス一枚にしかならないかも知れない。それでも、ないよりはましだというのが、結局の結論だった。
 夫と娘二人には、実家の両親にアレクサンドラがとうとう社交界デビューする予定がたったことを報告しに行くと説明したが、多分、ルドルフもそれから、ジャスティーヌも薄々気付いているだろうと思いながら、アリシアは用意させた馬車に乗り込んだ。

 
 屋敷を離れ、領地内のデコボコ道をクッションの完全にヘタったオンボロ馬車で進んでいると、アリシアは度重なる心労と不安のせいか、突然めまいと吐き気に襲われた。
 慌てて御者に合図を送り、馬車を止めさせると御者が心配そうに問いかけてきた。
「大丈夫、少し酔っただけです」
 実際、激しい揺れのせいで酔っただけかもしれず、とりあえずしばらく馬車を止めておくように指示をすると、アリシアはガタつく馬車の小さな空気入れ替え用の窓をギシギシと不穏な音を立てながら開けた。
 ここまでくると、いっそ御者にしばらく遠くに行っているようにと申しつけて、この二十数年の鬱憤を言葉にして叫びたい気もしたが、さすがにそれは伯爵夫人の矜持が許さない。
 外の新鮮な空気を吸っていると、馬車が近づいてくる音がした。
 残念ながら、アーチボルト伯爵家には馬車は二台しかない。一台は伯爵の専用の馬車と、この外見だけは手入れをしているが、中はボロボロの家族用の馬車の二台しかない。
「もし、伯爵が急用で王宮に向かわれるのならば、道をあけなさい」
 御者に声をかけると、すぐに返事が返ってきた。
「奥様、馬車は前方からこちらへ向かってまいります」
 来客の予定はないはずだったが、屋敷の一切を取り仕切るはずの自分の留守に、ましてや、アレクサンドラが危なっかしい様子で屋敷内をうろうろしているところを誰かに見られては大変だと、考えた瞬間、アリシアは再び激しいめまいに襲われた。

☆☆☆

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