God bless you!~第10話「夏休みと、その失恋」

「あとは君しだい」

その気があるなら……とは。
ズバリ、推薦を取り消して、国立という新しいチャレンジを。
そういう事だろう。
引っ掛かったのが、今年はそんなに難しくないという件りだった。
去年は難しかったという事なのか。来年から難しくなるという事なのか。
それを聞かないままにしてしまった事が悔やまれる。
今日は昨日にも増して、焦げ付くような真夏の暑さだった。超寝不足。なんとか朝メシは食ったけど、眠い。そして暑さが堪える中で部活は、ヘロヘロ。
国立5教科7科目のプリントを、昨日の夜から今朝にかけて必死でやった訳だが……日本史は元々集中してやっていたので何とか埋まる。化学がちょっと厳しい。試験というからにはと、教科書も何も見ないで解いてはみたけれど、当ってるのかどうか。疑わしい箇所はかなりある。
部活を終えて夕方、塾に古屋先生を尋ねると講義中だった。
また来い、と適当に曖昧に言われただけ。特に約束はしていない。
それならとプリントを渡してもらえるよう受付の女性に頼んだら、どこか不思議そうに俺を眺めて、「自分で採点しますか?」と聞かれた。
そういうシステムなのかと驚く。
よく見ると、最後の1枚に解答が付いていた。
気付かなかった。世界史と一緒に丸投げして……俺が動揺して、「今からやります」と答えると、その女性は笑って、「このまま、お渡ししておきますね」と受け取る。
しかし自分的に良くない。かなり寒い。古屋先生には、面倒くさい受験生が来たと笑われて終わりだろうと自虐的に考えて、そのまま帰ってきた。
少しだけ。
あの古屋先生にもう会えないかもしれないと思うと、少し残念な気がする。
大学がまだ難しくない理由も聞きたかったし、こっちの思い込みかもしれないけど、波長が合うというのか……あの年代に、あまりお目にかかれないような一体感があった。
その夜、塾から自宅に電話があった。
不運にも親が出た。
古屋先生から、明日も今日と同じ時間に来るようにと受け合う。
親に事の次第を話すと、「今頃になって、もう」と、母親はブツブツ言いながらも、レベルの高い大学を望んでいただけに内心喜んでいるんだろう。
次の日、出かける前にハンコを渡された。さっさと決めちゃいなさいよと言う事らしい。
今日は進路相談室のような小部屋に通された。
古屋先生が入ってきた。
開口一番、
「うわぁ、悪かったね。あの試験問題はお土産っていうか。せっかく来てくれたから、ただ……あげたかっただけ、なんだけど」
古屋先生は、「笑っちゃいけないよね」と言いつつ、既に口元が笑っている。
こっちは爆発的に恥ずかしくなった。
いつも、先輩とか年上というのは自分にとって脅威だったから、勝手に挑発されたような気になって……古屋先生に悪いことしたな、と思った。お手数かけた事を一応お詫び。
じゃこれで。
と、帰ろうとすると、古屋先生は昨日のプリントを机に広げた。
「その試験問題なんだけど。見たよ」
一段と明るい笑顔に促されて、俺も一緒になって覗き込む。
「基本は割りと出来てる。修道院の受験3科目で8割ぐらいかな。増えた科目が問題だよね。今回は入れてないけど、バカにできないのが英語のリスニング。君は科目ごとの偏差値にバラつきがある。好き嫌い激しいの?苦手科目には、集中力が足りないね」
まるで人格を分析されているみたいだ。
「勿体ないんだよ。もっと読み込んだら、選択肢も絞れるでしょ。そしたらマークシートの勘が当たる確率もグッと高くなる」
それで。
その先の結論を聞いてみたい。
「国立って、お……僕みたいに、この夏休みからでも間に合うんですか」
「うん」
同じ笑顔で言われると、ちょっと……てゆうか、かなり心が揺れる。
「そんな生徒さん、ごろごろいるよ」
そんな風に見えない。こないだのメガネ達が浮かんだ。
「君、生徒会なんだって?」
ハイと頷く。あのクラスで重森から聞いたのかもしれない。
「それじゃ内申も相当いいよね」
それには首を傾げた。
議長なんです……言えるかよって。吉森先生は、俺の内申に何て書くだろう。
「部活もやってるんだってね」
ハイと頷く。
個人情報がダダ漏れ。重森のヤツ、無い事無い事言ってるかもしれない。
「なのに、普段の成績もすごく良いみたいじゃない」
重森じゃないと確信した。
……阿木だ。感謝しても足りない気がしてくる。
「いつも思うんだけど、ここいらのそういう子って、今ぐらいから覚醒するんだよね。もうちょっと早く来てくれたらいいのに。何でかな」
古屋先生は、困り果てたと見せた。
「そういう場合、難易度の高い国立でも、学部を選べば可能性は……なくなくなくない」
え?どっち?
「今ってみんな、そう言うんだよね?」と先生は笑って、「君ら、あれって最後にどういう結論に来たのか、言ってて自分で把握できてるの?」
いや、俺に訊かれても。多分。
ていうか、結論は?
「短く言うと、可能性大って事」
古屋先生は、太鼓判(で、いいのか?)を押してくれた。
確かな人からそれを聞けたら、安心する。
急に体の力が抜けて、思わず椅子にもたれた。
「もし僕に君みたいな弟がいたら、私立のどれかを推薦よりは国立受けろって言うね。今の時代、可能性があるんだから、とりあえず受けろって」
「親も、それと似たような事を言いました」
古屋先生は、意を得たとばかりに「だろ?」と、にっこり笑った。
「港北大学は勢いあるよ。関連大学の周辺にニュータウン、そこへこれから病院が建つ、企業も来る、その採用は地元からとる動きもあるしね」
随分、詳しい。こないだもかなり力説していた。
「先生は、何でその大学に、そんなに肩入れしてるんですか」
「僕はね、来年からそこの臨時講師になるんだよ」
それで、売り込み?
「もし君が地元に根を張っていきたいと思うなら、そういう選択もある」
「根を張る、ですか……」
ちょっとポカンとしてしまった。
「違うの?地元推薦に決める子って、そういう子が多いでしょ。あんまり遠くを望んでなくて。ずっと地元で。近い大学で。そのまま地元に就職して結婚して。家を建てるにしても、親元からそんなに離れなくて」
正直、そこまでの未来は考えていなかった。
頭の中で、永田先輩、松下先輩、その弟、黒川、松倉……修道院に行った、あるいはこれから行くであろう顔を思い浮かべる。
うちからは毎年かなりの生徒がそこに行く。
だから俺も、と当たり前のように考えた。
同じ中学、同じ高校、そのまま大学も……という構図はある。双浜高は特に。
遠方を希望するのはノリと桂木ぐらいで、他はあまり飛び出す感じはない。
「だったら、わざわざ部屋を借りなくても、家から何とか通える所にあって、国立。それが1番いいと思うけど。双浜からは、文系だけど阿木さんが行くよね、教育学部」
「そうなんですか」
学部までは知らなかった。
「彼女は幼児教育。実は僕が勧めたんだよ」
そこまで決めてるのか。
阿木と俺は、ほぼ横並びだと思い込んでいたけど、今はグッと差を付けられたような。
阿木は自分で決めた……永田さんとは違う行く先だとしても。
この夏休み。
これからの勉強法。
「ちゃんと予定をたてて、目標も決める。1日何時間やるかという事よりも、どういった内容を1日に込めるか。その積み重ねで1ヶ月やり切る事。それが2学期からの学習に弾みをつけるから」
何を聞いても、古屋先生の話には説得力があった。
無理を可能にする力を感じる。
阿木も同じ事を感じたに違いないと思った。
もしかしたらたどり着けるのではないか、と圧倒的な自信を肌で感じて。
港北大学。今年は難しくないと言われた理由を、ここで尋ねた。
「ジンクスがあるんだよ」
古屋先生はイタズラっぽい目で、
「2年目を狙え」
俺を指さして、ドキュンとばかりに撃ち込んだ。
無邪気に弾かれてこっちは面食らう。
「新設で人気が上った学部は、2年目には必ず倍率が下がる」と説明しながら大学のパンフレットを開いて、「これ、これ」と、先生はいくつかの学部に印を付けた。
人文コミュニケーション。コミュニティ福祉。教養グローバル……。
「かなり、あるんですね」
本気で驚いた。
「複数の大学が統合されて、ジャンルも専門も、そのまんま。これからの社会に何が必要なのか、まだまだ選別が十分にされてない。少子化で学生獲得に必死なんだよ。カタカナを並べりゃいいと思ってるんだから安易だよな。一体、誰がバカなのか」
愚痴。
批判。
内情。
大人同士で、こっそりやる話のような。ここまで踏み込んでブチ蒔けてくれるとは。それも、俺みたいな年下に。
少なからず戸惑った。それを、俺には難しくて分かりづらいと誤解したのか、古屋先生は「つまりは、カネ、カネ」と指でマルを作る。
あんまり直球で、ウッと詰まる。
「そんな事言っちゃっていいんですか。先生、そこで働くんですよね」
言ってる途中で気付いた。
古屋先生に説教している……もう1度撃たれたい。
「大丈夫。僕は要領が良いから。無口だし」と、ブチあげられて、うっかり笑ってしまう。笑う所か?と一撃突っ込まれても、今なら甘んじて受けます。
「何年か経つと、淘汰が進んで、偏差値も落ち着いてくると思うけど。どう上がろうが、たかが知れてると思う」
何度も言うけど、日本は少子化だからね……続く説明の間も、俺はパンフレットの印に釘付けだった。受験日が違えばいくつでも受けられる。
「あとは君しだい」
古屋先生とはそこで別れた。最後はいつもの笑顔で。
試されているとは違う。
申し込んでも申し込まなくても、きっと、その笑顔に変わりはない。
受付で、夏期講習の申し込み書を書いて出した。
〝国立大学〟
自分の決心にも、そっと、ハンコを押す。
< 19 / 31 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop