神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
咲耶の声がふたたび震えたが、今度は怒りのためだった。“主”の想いに同調した“眷属”らが、一斉に気色ばむ。
ふっ……と、小さく笑った愁月が黒虎毛の犬を見やった。

「そなたなら気づいておろうな、クロよ。この空間の意味を」
「意味などっ……」

うなるように言った犬貴の黒い毛が逆立つ。鋭い眼光が、愁月を見返した。

「それが、貴方様がなさる行いだというのなら、こちらも応じるまでのこと。我らが第一に考えるは、ハク様ただおひと方」
「──果たして咲耶は、そのように考えるかな」

互いにだけ通じる会話をする、愁月と犬貴。
思わず咲耶は、隣に控える精悍(せいかん)な顔立ちの甲斐犬を見た。

「どういうこと……?」

疑問に思う咲耶と、問いかけにびくりと身を震わせる犬貴の間に、冷静な声が割って入った。

「軽率な行いをなそうとする“主”をたしなめ、正しい道に導くのも“眷属”の務め。判断材料となる進言も、必要ならばすべきであろう」

教え諭す物言いに、彼らの常の関係性が見えるようだった。そして、その理路整然とした話し方は、和彰とよく似ていた。

(和彰……)

『師』として和彰が愁月を慕っていたことを思い、咲耶の胸がつまる。

(何かにつけて「師がおっしゃるには」って、言ってたっけ)

いまにして思えば、それはまるで尊敬する『父親』を慕うようであった。
誰に対しても不遜(ふそん)な口を利き、態度をとった和彰が、唯一敬っていた相手。

「──咲耶様」

つかの間、物思いにふけってしまった咲耶の耳に、犬貴のいつにも増して堅い声音が入ってきた。
はっとして顔を向ければ、黒虎毛の犬が心痛な面持ちで目を伏せている。

「我らが居りますこの空間は、愁月様の屋敷の幻のようなもの。我ら以外の者が存在しない、いわば屋敷の幻影なのです。ですが──」

言いよどんだのち、咲耶を一瞥(いちべつ)した深い色合いの瞳が憂いを帯びた。

「仮に今、我らが屋敷内で力を奮った場合……本来の愁月様の屋敷にも同じ現象が起こり……屋敷内の人間に害が及ぶ可能性は……残念ながら、否めません」

チッ、と、犬朗が大きく舌打ちした。かすれた低い声がいら立ちを露わにする。
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