神獣の花嫁~かの者に捧ぐ~
これが自分のことであったなら、咲耶は怒りを覚えなかっただろう。
しかし、大事に想う者を傷つけられて、それでも黙っていられるほど咲耶は大人ではなかった。

「百合子さんは、犬貴に【何か】伝えたかったんですよね? 正確には、ハクコに。
だけど、それってあんな風に、けなすように言わなきゃならないことなんですか!?」

瞬間、咲耶の身体が、真後ろにあった木の幹に叩きつけられた。衝撃と驚きで、息がつまる。
さらには、咲耶ののどに、百合子のひじが突き付けられていた。

一瞬の出来事に理解が追いつくのが遅れたが、咲耶を今の体勢にしたのは、百合子の掌底(しょうてい)による突きと、ひじによる押さえこみだった。

「──いずな、捕えろ」

短い語に反応するように、百合子のそで口からスルリと褐色の体毛に覆われた、おそらくイタチが現れた。
俊敏な動きで瞬く間に咲耶の手首にまとわりつき、その身でもって無理やり後ろ手に両手首を拘束する。

「……お前は、私を【誰だと】思っている?」

咲耶をのぞきこむ百合子の瞳には、怒りにも似た冷たい色の炎が見え隠れしていた。空いた一方の腕を上げ、手のひらを上向かせる。

「【自分と同じ“花嫁”だ】と、勘違いしているのだろう?」

咲耶は唐突すぎる百合子の行動に、声もあげられなかった。なすがまま、百合子の語る言葉を聞いていた。
ふと、近づいた百合子の首筋にある『黒い痕』が、咲耶の目に入る。“契りの儀”で“神獣”から付けられる、“証”。

『黒い神の獣は、破壊と死を──』
茜の言葉が、咲耶のなかでよみがえった。

「残念ながら、私とお前は【同じ存在ではない】。私とお前の“役割”が違うという程度の話ではなく──」

上向いた百合子の手指の爪が、咲耶の見ている前で肉食獣のように伸びて、とがる。

「“仮の花嫁”と、“神力(ちから)”の遣える“花嫁”との、歴然とした違いだ」

咲耶の頬に、熱い痛みが走る。真新しい紙で、うっかり手を切ってしまった時のような、一瞬のものだ。
それは、百合子の爪先が、軽く触れた咲耶の頬を、切った痛みだった。

「解るか、この違いが。
今この瞬間、お前が本来の“花嫁”として在れば、お前の気の乱れだけでハクコの“眷属”がお前の異変をとらえ、この場にやって来たはずだ。
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