Shine Episode Ⅰ
今夜も、当然のようにソニアの横には籐矢が座っており、陽気なソニアは、みんなに声をかけ実に楽しそうな様子だった。
「トーヤ、ピアノを弾いてくれない?」
「歌うのか」
「アナタが弾いてくれるならね」
「わかった。ピアノを使ってもいいか聞いてくる」
席を立った籐矢はほどなく戻り、ソニアを促しピアノの前に座った。
どこからか借りてきた楽譜を譜面台に置き、からわらの灰皿に煙草を預ける。
何度か手を握ったり開いたりしていたが、ソニアとアイコンタクトのあと籐矢の指が鍵盤の上を動き出した。
有名なジャズナンバーだった。
曲名を思い出そうとしている水穂の耳に、室長のつぶやく声が届いた。
「Fly me to the moon 私を月まで連れていってか……なんともロマンチックな曲を選んだものだな」
ソニアの声は女性にしては低めで、低音部分が心地良く耳に響く。
時折、籐矢を見ながら気持ちよさそうに歌うソニアは、一曲歌い終わると一礼をして籐矢の頬にキスをした。
「久しぶりに歌ったわ。トーヤのピアノ、ステキよ。ありがとう」
店内はやんやの喝采となり、「神崎さんとピアノって、なんだか繋がりませんね」 などと遠慮のない声も飛んでくる中、同時にアンコールの声も多かった。
その声を手で軽くいなして席に戻る籐矢に、ひとりの女性が声を掛けた。
「失礼ですが……もしかして、学生ピアノコンクールに出ていらっしゃった、神崎籐矢さんではありませんか?」
参ったな……と言いながら、女性の言葉を否定しない籐矢は笑うだけで、そうだとも違うとも返事をしない。
彼女はこの店のピアニストらしく、籐矢の返事をもらえないままではあったが、彼のあとにピアノを弾きはじめた。
よく知られた映画音楽のナンバーが流れてきた。
言い知れぬモヤモヤに包まれていた水穂も、籐矢とソニアの競演に素直に感動した。
ふたりの演奏を聴きながら、籐矢とソニアには自分が知らない共有した時間があったのだ、それを羨んでも仕方ないと思えるようになっていた。
いつの間に来たのか、ジュンとユリが水穂の横に座っている。
「合コンはどうしたのよ」
「今夜は冴えない顔ばっかり。つまらなくて、こっちにきちゃった」
合コンが行われていた席を見ると、男性ばかりが取り残されていた。
確かに冴えない顔が並んでいるようだと水穂も思ったが、そこは友人として二人にひとこと言わなくてはと思い、苦言を口にしたのだが……
「つまらないって、そんな理由で席を抜けちゃっていいの?」
「いいの、いいの。それより神崎さんのピアノ、素敵じゃない
ほかの女の子も、みんなピアノを見つめてたわよ。今夜の合コンはおしまい、こっちにまぜてね」
ジュンとユリは遠慮もなく慰労会の席に入り込み 「神崎さん、惚れ直しました」 などと、調子のいいことを言っている。
「神崎さんがピアノを弾くとは意外でしたね」
「情報通の内野でも知らないことがあったんだな」
「そんなぁ、学生時代の情報までは私も知りません。学生コンクールがどうのって聞こえましたけど。
神崎さん、音楽科の出身じゃありませんよね。確か出身大学は……」
出身校まで覚えているジュンに苦笑いしていた籐矢だったが、酒が入っているせいか珍しく自分から話しはじめた。
「家に母親が大事にしていたピアノがあった。おもちゃ代わりに弾いていたら、そのうち習わされて……まぁ、その程度だ」
「まぁ、ご謙遜を。コンクールに入選するくらいなのに、どうして音楽家を目指さなかったんですか?」
「高校の頃、ジャズにのめり込んだ、リズムにも歌詞にもな。
だが、クラシックをさせたいピアノ教師は、それを認めなかった。で、やめた。それだけだ」
「えーっ、もったいない! でも、どうしてジャズをやっちゃいけないんですか?」
ジュンとユリのうしろでなんとなく話を聞いていた水穂は、籐矢の経歴に興味がわいてきた。
やおら身を乗り出して疑問をぶつけてきた水穂に、新しい煙草に火をつけて一息吸った籐矢は、なんでもない顔で答えた。
「ジャズを弾くと規則正しいリズムが壊れると言われた。ジャズのリズムがクラシックの基本を崩すそうだ。
ジャズもクラシックも音楽だ、それなのに片方を否定された。
偏った考えの教師に、それ以上習う気になれなかった……もう俺のことはいいじゃないか」
照れたのか、籐矢は自分ではじめた話をそこで仕舞にした。