Shine Episode Ⅰ
「雨も強くなってきたし、今夜は早く帰ろうか」
「そうですね……今週は、ずっと報告書作りにかかっててたんですよ。
デスクワークって疲れますね。お料理、美味しかったぁ。すっごく元気になりました」
「そう、良かった……行こうか」
ワイパーが最速で動くほど大降りになった雨の音は、会話が途切れがちな車内のBGMになっていた。
レストランから駐車場までの短い距離を走っただけで、スカートの裾の色が変わるほど雨に濡れて湿り気を帯びた膝まわりは、助手席に座っても居心地が悪い。
「こんなに降るなんて、天気予報ははずれだ……濡れちゃったね、寒くない?」
「大丈夫です。すぐに乾きます」
一番聞きたいことを聞いていない。
いつ切り出そうかと、栗山は食事の初めから考え続けたことをようやく口にした。
「ビルに閉じ込められたあと、脱出しようとは考えなかったの?」
「えっ? あぁ……明かりもなくて、ぜんぜん身動きが取れなかったんです。
神崎さんが下手に動かない方がいいって……実際動くなんて無理でしたけど」
「助けがくるまで、何をして過ごしたのか気になってたんだ。
同じ部屋の中に、神崎さんと何時間も一緒にいて、黙って過ごすには長すぎる時間だから。
彼と……その……何か」
「ずっと話をしてました。一緒に仕事をしているのに、私達ってお互いこと、ほとんど知らないんです。
初めて聞きました、神崎さんの新人の頃の話とか、フランスにいたときのこととか。
結構派手にやってたみたいで笑えました」
「そう……そうなんだ」
水穂は畳み込むように栗山に告げた。
籐矢と話をしたのは本当だが、その前の行動は栗山に伝えるべきではない。
栗山だからこそ言ってはいけないのだと、水穂は自分に言い聞かせた。
水穂の自宅まで、あと少しのところで車が止まった。
大雨の中、ここで降ろされるのだろうかと怪訝な顔を栗山に向けると、射るような目が水穂を見ていた。
栗山は強い視線を向けたまま水穂のシートベルトをはずすと、水穂に拒むまも与えず胸に引き寄せた。
息苦しさを覚えるほどの抱擁に体をよじりながら、水穂は近づく栗山の顔をよけた。
「……栗山さん……困ります……」
「どうして」
「誰かに見られたら……」
「こんな雨の夜に、誰が見るって言うんだ」
「だけど」
「僕ら付き合ってるんだよ、隠すことなんてない。それとも、僕とのキスは嫌?」
水穂は小さく首を振った。
いつもは優しい栗山の強引さに、口で言うほど抵抗してはいない。
けれど、甘く寄り添う気分でもなかった。
「僕の気持ちはわかってるよね。好きだよ……」
栗山の真剣な思いが唇から伝えられる。
服の湿り気が肌に伝わり、ぬるりとして気持ち悪いと、唇を重ねながら水穂は冷静に考えていた。
私も好きです……と伝えればいいのだとわかっていたが、言葉にできず戸惑いが体の中に点在している。
新人時代から、なにくれとなく面倒を見てくれた先輩だった。
穏やかで、いつも落ち着いていて、綻びがないのかと思えるほどきちんとしていて、憧れの人だった。
思いがけず交際を申し込まれ、もっと、もっと、栗山が好きになるはずなのに、どうしてこの状況でときめかないのか、体の芯が疼く感覚を得られないのか、水穂は栗山にしがみつき必死に答えを探していた。