君と一緒に恋をしよう
#31『おわりとはじまり』

 体育館に着いたら、ダンス部の演技はもう終わっていて、下ろされた暗幕の内側で、証明の付け替えや、スピーカーの準備が始まっていた。

「すみません、遅くなりました!」

 私は足元のケーブルの束を手にとった。そこからは、軽音部に指示をされながら、ずっと準備作業を手伝い続ける。

 ようやく演奏が始まったころには、外は赤く染まり始めていた。

「お疲れさま」

 立木先輩が、声をかけてきた。

「今日はこれで終わりでしょ?」

「はい、ちょっとだけ軽音見て、それから教室に戻ります」

「そっか、じゃあまた、明日もよろしくね」

 先輩に手を振って別れる。私は体育館をのぞこうとして、ふと気がついた。

 もしかして、この時間、市ノ瀬くんは、最後の教室の監視当番に入ってるんじゃないのかな、いや、もしかしなくてもそうだ。私は、爆音に背を向けた。

 そうだ、今すぐに教室に戻れば、ちょっとでも顔が見られるかもしれない。

 足が自然と動き出す。気がつけば、私は教室に戻っていた。

 中では、クラスの何人かが集まっていて、プラネタリウムや展示品、窓の段ボールの補修を始めていた。

 奈月は市ノ瀬くんと一緒に、ドームの一つを持ちあげている。

「あ、志保お帰り! もういいの?」

「うん、今日は早帰りで、明日は早出」

 私も、片付けや掃除を手伝う。明日の準備が整って、そこにいた全員が帰り始めた頃には、外はすっかり暗くなっていた。

「あー、バレー部のチョコバナナ、結構売れ行きがよかったみたいで、買い出しと仕込みの召集がかかっちゃったよ」

 奈月ががっくりと肩を落とす。

「津田くんも、そんなこと言ってたよ、景品の買い出しがあるとかって」

「ホント?」

 奈月は私を見て笑った。

「じゃ、私は泣く泣く行ってきます」

 彼女が教室を出て行って、私は市ノ瀬くんと、ようやく二人きりになった。

「コレ、どうしたの?」

 彼の指が伸びてきて、人差し指の先でくまの頭をなでた。

「かわいいね」

「市ノ瀬くんはさ……」

 誰かとやっぱり、学祭を回ってたりしてたんだろうか、梨愛か奈月? 

 それとも、他の誰かと一緒に、今日一日、ゲームしたり買い物したり、してたのかな?

「ん? なに?」

 体育館の方から、軽音部の高いギターの音と歓声が響いてきた。

 もう時間だ、急がないと、電気が消されちゃう。

「ううん、なんでもない、カギを戻しに行こうか」

 二人で教室の戸締まりをチェックして、廊下に出る。

 鍵穴にカギを差し込んで、回したちょうどその瞬間に、灯りが消えた。

「うわっ! ちょっと消されるの早くない? やだ、真っ暗!」

「すぐ元に戻るって」

 彼の手が、私の手をつかんだ。

 外からのわずかな光の中を、彼に手を引かれて歩く。

「いろいろ置いてあるから、気をつけろよ」


「うん」

 確かに、廊下には今は色んな物が置いてあって、危ないといえば危ないけど、別に手を引かれて歩かなきゃいけないってほどでもない。

 だけど、私の手を引いて歩く彼の背中は、決してこっちを振り返ることはなくて、私は昨日ドームの中で、頭がぶつかりそうになったことを思い出す。

 私は、この手を振りほどくことも出来るのに、どうしてそれをしないんだろう。

 手を握ったまま歩く彼の歩調が、強く引いていたのから、緩やかに変わった。

 隣に並んで歩いてもいいけど、何となく恥ずかしくて、それができない。

 昨日、頭がぶつかりそうになったあれは、なんだったんだろう、なんで今この瞬間に、私はそんなことを、考えてるんだろう。

 廊下に灯りがついて、急に世界が明るさを取り戻した。

「うわっ」

「まぶしいね」

 彼の手がほどけた。その手で自分の目を覆う。顔を見合わせて、少し笑った。

 それでお終い? 職員室は目の前だ。彼は一人で中に入っていく。

 このまま、校舎の外に出てしまったら、この関係もまた魔法のように、消えてなくなってしまうんだろうか。

「失礼しました」

 そう言って職員室から出てきた市ノ瀬くんを、私は見上げる。

 それを彼は、不思議そうに見下ろした。

「どうした?」

「ううん、なんでもない」

 そうだ、私は、この人のことが好きなんだ。

「行こうか」

「うん」

 黙って、廊下を歩く。だから、この人といると、すっごくイライラしたり腹が立ったり、ムカついたり悲しかったり、それでいて、ものすごくうれしかったり楽しかったり、悔しかったりしてたんだ。

 校舎の外に出たら、奈月が待っていた。

「あれ? バレー部の買い出しは?」

「後輩に変わってもらっちゃた」

 彼女は、彼の隣に並んだ。すぐに奈月のおしゃべりが始まる。

 他の人となら、どんなことをしても、何をしても、何とも思わないのに、こんなに自分の気持ちが激しくアップダウンするのが、不思議で仕方なかった。

 私は並んで歩く二人の後ろを、ゆっくりとついて歩く。正門の横では、梨愛が待っていた。

「おー、一緒に帰ろー」

「帰ろうー」

 市ノ瀬くんが声をかけて、梨愛もこの列に加わった。

 彼の何気ない仕草の、言葉の、その一つ一つが、ぐさぐさと突き刺さる。

 それがこんなにも痛くて、辛くて、だけど死にそうなくらいに、泣きたくなるほど、自分を忘れさせるものだなんて、思わなかった。

「どうした?」

 彼が振り返って、私に声をかけた。

「ううん、なんでもない。私、先に帰るね」

 駅までの短い距離を、今さら走ったところで、なんの意味もない。

 だけど、私は気づいてしまった。奈月と梨愛も、同じ気持ちだってことを。

 今さらなんだろ、バカだな、頭が悪すぎる。

 数歩先で振り返って、私は大きな声を出した。

「じゃあねー! お疲れさま!」

 こんなところになんて、いられない。

 改札を通り抜け、ホームに駆け込む。向かいに立つはずの三人からは姿が見えないように、柱の影に隠れて、携帯に気をとられているフリをした。

 電車が入ってくる。三人がホームに入っていることに、気づいているのに気づかない演技なんて、得意中の得意技なんだからね。

 家に帰って、ベッドの中で携帯を握りしめる。彼になんて、どんなメッセージを打とうか、考えに考えて、何度もやり直して、結局送信出来ずに画面を閉じる。

 どうしよう、明日から、まともに話しが出来るかどうか、全く自信がない。

 昨日までは全然平気だったことが、もう私には、出来なくなってしまった。

 朝のホーム、私は車内から一歩を外に踏み出す。

 ちらりと時計を確認すると、彼と約束した時間ちょうどだった。

 改札を出ると、昨日と同じ場所に、市ノ瀬くんが立っている。

「おはよう」

「おはよう」

 並んで歩くその一歩一歩に、全身の神経が集中してる。緊張しすぎて、息がとまりそうだ。

「今日の予定は?」

「えっとね……」

 彼に聞かれて、自分でも自分に驚くぐらい、流暢な日本語で普通にしゃべれた。

 私って、こんなに上手に話しが出来る人だったっけ。

「あのさ、今日の午後から、片付けが始まるまでに、ちょっと時間があるだろ?」

 彼は私の隣で、前を向いたまま小さくつぶやいた。

「このまま全部仕事で終わるのもなんだから、ちょっとくらい二人で一緒に回らない?」


「うん、いいよ」

 まともに顔を見て、そんな返事をする勇気もないので、彼以上の小さな声になってしまった。

「なんだよ、ダメ?」

 私は思いっきり、首を横に振る。

「じゃ、そういうことで」

 彼は校舎の階段を駆け上がって、先に行ってしまった。

 誰もいなくなった踊り場の、さっきまでそこにあった背中を、私はまだ目で追っている。

 そうだ、これから先は、私にも違う世界が待っている。

 奈月のこと、梨愛のこと、津田くんのこと、千佳ちゃんのこと、淸水さんのことと、上川先輩のこと、立木先輩のことも、他にもたくさんの、色んな人が、たくさんの出来事が、きっと私を待っている。

 だけど、そんな全部を押しのけても、私はきっと、あの人を選ぶだろう。

 長く続く階段の、その一歩を、私は前に踏み出した。

【完】
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