春雷
闇に隠れるようにひっそりとホテルを出て、
少し、少しだけ、距離を保って静かに歩いた。

角を曲がり、川沿いの静かな桜並木通りにでると、人気はなくなり、街灯が枯れ木をひっそりと照らしていた。

もちろん二月に桜などなく、こんな寒い日に川沿いを歩きたい人もいない。
今の僕らにはぴったりだ。

「フランスは、いつ出発ですか?」

「三日後です。もう向こうで住む部屋も決めました。築80年のマンションですよ」

実は女性二人が住めるように、内装が可愛らしくて広い部屋にした。それは今は内緒にしておこう。

「僕らには、時間が必要ですね。
だけど、何も始まっていないし、何も終わっていない。何を、どう始めればいいのか、ゆっくり考えましょうか」

そう言うと、彼女は足を止めた。

俯いた顔、きっと悲しい顔をしてる。

「琴葉さん、一つだけ、聞いていい?
僕は、いない方が、よかった?」

彼女は、驚いた顔をして僕を見た。

ああ、綺麗だな。
メイクなんか落ちたって、本当に綺麗じゃないか。

「僕は、貴女に笑っていて欲しかった。だけど僕は貴女の生活をめちゃくちゃに引っ掻きまわして、娘さんにまで悲しい思いをさせてしまった。僕は、貴女の前に現れない方が、よかった‥?」

彼女の目に、みるみる水滴が集まってきた。
< 100 / 110 >

この作品をシェア

pagetop