月夜に還す
 「こっ、こうくん!?」

 慌てて幼馴染の名を呼ぶと、滉太の両腕にギュッと力が込められる。

 目の前には滉太の分厚い胸があって、幸香は今更ながら、彼が大人の男性だということを意識した。
 かすかなムスクの香り包まれて、ジッと息を詰める。
 ドクドクと心臓の音だけが、耳の中でこだましている。

 「…ごめん。」

 ひっそりとした低い声が、頭の上から降りてきた。
 滉太の腕の中で、俯いたままその言葉を聞いた幸香は、そっと顔を上げる。

 濡れたように光る瞳が、切なげに細められている。

 「どうして…」

 謝るのか、抱きしめるのか、それとも…
 色々と聞きたいことがあるのに、言葉が続かない。

 「約束、守れなかったから…」

 「約束…」

 最初はピンと来なかった。
 キョトン、と首を傾げる幸香を見た滉太が、哀しげに微笑む。

 「あ、」

 その瞬間、幸香はあの日交わした滉太との『約束』を思い出した。
 目を丸く見開いた幸香に、滉太は彼女が『約束』のことを覚えていたことを知る。

 「俺、針千本飲まなきゃな。」

 「違うよ…こうくんじゃなくて、私が飲まなきゃ…」

 背中に回る滉太の腕には力は入っておらず、幸香はそこから出ようとすれば出れるのに、じっと彼の腕に囲われたまま、顔を伏せた。

 (こどもの時だって、こんなにくっついたこと無かったよね…)

 体つきも声も、纏う香りだって、何もかも全然違うのに、この男性が大好きだった幼馴染みだというだけで、全く嫌悪感が湧かないのが、不思議だと思いながら、幸香は口を開く。

 「約束を破ったのは私の方だもん。こうくんは、結婚してないんでしょ?」

 「ああ。相手もいないしな。」

 「そっか、じゃあやっぱり、私が針千本のまなきゃ。」

 滉太の体に身を寄せたまま、フッと息をついた。
 
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