月夜に還す
 
 幸香が小学三年生の夏休み。
 頭が割れそうなほどの蝉しぐれの中で、彼女は八歳なりの勇気を振り絞って、滉太に自分の気持ちを打ち明けた。

 「こうくん…」

 「なに?ゆきちゃん。」

 虫取り網を持った彼は、セミを捕まえようとしていたのを中断して、幸香の方に顔を向ける。

 「わたし、こうくんのことが、いちばん好き。」

 軽く目を開いた滉太が、顔だけでなく体ごと幸香の方を向く。
 
 この頃から、滉太の背は高く、年は一つしか変わらなかったけれど、頭一つ分彼の方が幸香よりも大きかった。

 三十センチほどの距離で、少し上を向くと、目をしばたかせる滉太の顔があった。

 (ああ、失敗した…こうくん、困ってる。)

 どうやって、フォローしようか、「冗談だよ」と言ってしまおうか、と内心ひどく焦っていると、目の前の滉太が一歩前に出て、虫取り網とは反対の手を差し出した。

 「こうくん?」

 その手に何の意味があるのか分からなかった幸香は、首を傾げる。
 そんな幸香の右手を、滉太がサッと取った。

 「ぼくもゆきちゃんのこと、大好きだ。」

 繋いだ手をギュッと握った滉太が、太陽みたいな笑顔でそう言った。

 「こうくん、本当?」

 「もちろん!」

 「うれしい!!大きくなったら私のこと、こうくんのお嫁さんにしてくれる?」

 「うん。」

 「じゃあ、やくそくね!」

 二人が小指を絡ませて約束の歌を歌う時、一斉に鳴いていた蝉しぐれがピタリと止んだ。
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