蜜月は始まらない
「よかった。じゃあどこか行きたいところ、考えておいて」

「……うん」



今度はこくりと素直にうなずいた。

華乃の様子に、また俺は気を良くして頬を緩ませる。

控えめでいつも周りに気を遣っている彼女を誕生日祝いのデートに誘うのが、これほど難儀とは思わなかった。

相手チームへの配球を考えるためにならいくらでも回る頭が、華乃を前にすると俺は全然ダメだ。

……おまけに、ここ最近彼女が夢に出てくる回数が多くなってきた。いよいよ俺もやばいらしい。

夢に見るときの華乃は、なぜかほとんどが高校時代の姿だ。
よっぽどあの頃に、後悔を残しているということか。

ああ、だけど──華乃をチームメイトたちに紹介したあの晩見たやけにリアルな夢は、28歳の今の自分たちだった。

これは夢だ、と自覚しているもののことを明晰夢と言うらしいが、あのとき見たのがたぶんそうだったんだろう。

その中で、俺は彼女にキスをしていた。

なぜか華乃に自分の濡れた髪をタオルで拭いてもらっているというシチュエーションで、すぐそばに顔があったのだ。

簡単に手の届く真近にいとしい人物がいて、深く触れて自分のものにしたくて。引き寄せられるのは当然だった。

なぜか華乃に濡れた髪をタオルで拭いてもらっているというシチュエーションで、欲望のままに荒っぽく唇を重ねる自分。

やけに甘く感じる彼女の口内を散々堪能しながら、熱く焼け切れそうな頭の片隅で、なけなしの理性があることを思いついた。
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