限定なひと
 結局。課長はタバコ休憩という無駄な時間を費やすこともなく、こちらに面倒を分投げることもなく、ただただ彼の冷たい視線に追い立てられるように書類を作成し続けた。その甲斐あってか、書類はどうにか就業時間内すれすれで仕上がった。
 魂が抜けたように呆然自失な課長を尻目に、長身の彼がホワイトボードの高い位置に直帰の文字を殴り書く。
「それじゃあ、お先です」
 書類一式の入った社名入りの大判封筒を手に、颯爽と飛び出そうとする彼へ、お疲れ様でした、と他人事で声をかけたその瞬間。
「は? 何言ってんですか、間島さん。新米の俺が、場所わかるわけないでしょ?」
 そう言うと、彼はひょいと私の二の腕を掴み上げた。隣の課から微かに悲鳴のような黄色い声がしたのは、彼のファンだろうか。一瞬、ドラマのワンシーンを想像しかけるも、どんより曇った窓ガラスに映った現実は『エージェントに拿捕された宇宙人』のそれで、これじゃ嫉妬どころか失笑ものだ。
 そうしてそのまま、制服から私服に着替える事も許されず、辛うじて鷲掴んだバッグと共にずるずると引きずられて、今現在の状況に至るのだけど。
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