限定なひと
3

 金曜の午後。彼は度々、製菓会社との商談を入れるようになった。
 商談の日は必ず、私の机にさりげなくメモを置いて行く。一見誰の目に留まっても違和感のないそれは、行先と時間、それと直帰、と書かれているだけ。それなのに、私はたちまち落ち着きをなくす。
 彼が直帰する先は、待ち伏せされたバス停の真ん前にあるコンビニの駐車場。距離的には丁度女子寮と製菓会社の中間あたりになる。
 そこで彼と私は落ち合うのが、暗黙の了解になった。

 バス停に降り立つ度、私は必ず少しだけ緊張する。これから起こるかもしれないことや、それ以前に彼が来て無いかもしれないことを考えて。そんなモヤモヤを抱えつつバスのステップを降りると、コンビニの裏側へと回り込む。
 男なんて私の人生にはもう不要だと思っていた。
 実際、今まで彼氏が居なくても何不自由なくやってこられたし、何より私は。
 私はたぶん、十代の頃に人生における恋愛をし尽くしたのだと思う。もう、あんな最低で苦い思いは懲り懲りだと、頭では充分理解している、それなのに。

 見慣れた派手なカラーの店舗の向こうに、彼の眼鏡みたいなしっとりとした漆黒のスポーツセダンのお尻が覗き見えると、私は安堵のため息を吐く。車にそっと近づいて小さく運転席側の窓をノックすると、既に『限定眼鏡』の彼が私へと視線をあげる。その度、私の心臓は鷲掴みにされたようにぎゅっと痛む。彼の口元にゆっくりと広がっていく笑みが、更に心臓を切ないほど高鳴らせた。
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