限定なひと

「だからっ、だめだってばっ!」
「だめって、どう、だめなの?」
 たっぷりと笑いを含んだ声でそう言う彼は、今、私のグラスのウーロン茶に自分の焼酎のロックを注いでウーロン・ハイにしようと躍起だ。
 今日は彼の家の近くの居酒屋。炉端焼きで有名な店だけど、予約しないと中に入れないほど、常に満員御礼な店。騒がしい店内に私たちの子どもっぽいやり取りも紛れて、更に賑やかしい。
 店に着いた早々、彼は珍しく焼酎のロックを注文すると、待っててと一言残して出て行ってしまった。程なくして戻ると、彼はスーツ姿からボタンダウンのオックスフォードシャツにジーンズというラフな服装になっていた。車を置いてくるついでに着替えてきたらしい。それくらい、 今日の店は彼の部屋と近い。にわかに掌に汗が滲んだ。
「なに遠慮してるんですか。いつもみたいに、飲めばいいのに」
 彼が、さっきの不機嫌なんて嘘のように、上機嫌でこちらを見る。改めて見ると、やっぱり彼は整った顔だちをしている。今風のイケメンではあるけれど、イケメンの一言で済ますのが勿体ない、そんな上品さのある笑顔だ。
「……会社でも、そうやって笑ってればいいのに」
 うっかり心の声が口から出ていた。彼は一瞬、目を見開くと意外な一言を放った。
「俺、そんなに笑ってない?」 
「……はい?」
「結構職場では愛想よくしてるつもりですけど」
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