限定なひと

――チルさんってさ、嘘つくのがヘタクソだよね。
 そう言ってその人は、私の髪を撫でながら笑った。
――美智留ちゃん、か。じゃあ僕はキミの事、チルさんって呼ぶよ。それでいいね?
 その人のかけていた黒縁眼鏡は、ぎょっとするくらい太いテンプルで、今ならすっかり定番だけれど、当時としては少し奇抜すぎる印象だった。
――チルさん、かわいいね。
 その人はいつもそう言って、私を甘やかした。
――恥ずかしがらないで。きれいだから、もっと見せて。
 青臭い私の躰を初めて開いたのも、その人。
――ごめんね、もう会えないや。
 そうしてその人は、悠然と私の前から姿を消した。
入れ替わる様に届いたのは、満面の笑みを浮かべた新郎新婦の写真が焼き込まれたハガキ。不思議と涙は一切流れなかった。


 低い振動音が部屋に響いた。昨日からずっと鳴っているけど放りっぱなし。それから逃げるように、私はベッドの中で頭から布団をかぶってじっとしている。目がパンパンに腫れあがって上手く開かないけれど、今日は休日。どこかに行くとか誰かと合うとかは無いから、冷やす気にもならない。こっちも放りっぱなしだ。
「……天気。無駄に良いなぁ」
 既に時間は午後を回っているけれど今からでも遅くはない、洗濯くらいはしなくちゃだめか。そういえば、下着類がそろそろ底を尽くころかもしれない。
< 39 / 88 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop