限定なひと

「教室で俺と会話したのって、……覚えてないですよね」
 清住偉人の言葉に私は我に返ると、無言で頭を振った。
「あの日。塾のテストのせいで、書の稽古の時間を変更したんです」
 彼の伏せた瞳にかかる睫が案外長いことに、今さながら気づく。 
「普段は三時半からだから、貴女に指導される事もなかったし、たぶん、貴女に逢ったのはあの時が初めてじゃないかな」
 彼の端正な顔に憂いが混じっていくのを、ぼんやり見つめていた。
「教室に着いたら、部屋から出てくる先生と玄関で鉢合わせしたんだけど。なんだか妙によそよそしくて、挨拶も早々に奥のプライベートエリアに引っ込んでいって。なんだろうな、って呆気にとられていたら、入れ違いで現れたおばさんに呼び止められて」
 彼からすれば、あの人もおばさん、なのか。
「ねぇキミ、この部屋の中、見てごらん。“チル”っていう名前の汚らしいものが居るから、って言われて」
 ああ、あの人なら、そんな事言いそう。
「少しだけ戸を開けてみたら、畳に仰向けになって天井を睨みつけてるお姉さんがいてさ」
 嫌な汗が流れる。
「スカートは捲れて太腿が丸見えになってるし、上着も体に纏わりついてるだけで、胸元もポロリって感じで」
 恥ずかしくて、泣きたい気持ちになる。
「でも、それが和室と妙に馴染んでて、なんだか目が離せなくなっちゃって」
 対する彼は、なんだかとても優しい顔をしていた。
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