限定なひと

「……ね、美智留さん」
 彼の体温と心音を直に感じつつ、うとうとと微睡んでいたその時。
「もうこの際だからさ、俺ら結婚しちゃわない?」
全身に伝わるその言葉の衝撃に、私は思わずベッドから起き上る。
「は!? なに、言ってるの?」
 彼はいつものへらりとした余裕の笑みを口元に浮かべつつ、そのくせ、目元だけは真剣そのものだ。
「あ、あの。まだ、よくわからないから。……そういうの」
 うん、と彼は少しだけ苦さを含んだ笑顔で頷くと、それでもいいよ、と呟きながら躰を起こした。
「でもさ、頭の中には常に置いといてよ。……それと、さ」
 視線を僅かにそらすと、彼は少しだけ言いよどむ。
「美智留さん、怒るかもしれないけど。でも、俺が率直に感じた事、この際だから言わせてもらう」
 意を決したような表情で彼は、私をしっかり見据えた。
「ホントはまだ、書の道、極めたいんじゃないの?」
 別の衝撃が躰を走った。
「あの一筆箋の真丁寧な文字見てたらさ、なんかこう、じわじわと来るもんがあったんだよね。あの書道教室の玄関先に飾ってあった狭山峯隆の書、覚えてる? 初めてあれ見た時と同類の何かを感じた、っていうか……」
 なんで、そんなこと。
「先方からも言われたよ。こんな心に訴えるお詫び状を渡されちゃったら、こちらが折れるしかないでしょ、ってね」
 そんなこと、急に言われても。
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