エリート弁護士と婚前同居いたします
「返事も了承もしていません。そもそもまだ帰宅していないので」
 無愛想にそう言って目の前の交差点で足を止める。交通量の多い、四車線あるこの通りは昼夜問わずひっきりなしに車が行きかう。私のように信号待ちをしている人も多い。

『知ってる』

 フッと彼が笑った気配を感じた。信号が青に変わり、人が一斉に信号を渡り始める。その波に負けないように買物袋を握りしめる。野菜や果物が入った買物袋は重たくて片手でスマートフォンを持ちながら歩くのは、思った以上に負担がかかる。

 その時、ピカピカに磨かれた品のいい革靴がうつむきがちに信号を渡る私の視界に入った。真正面に立つその持ち主を避けようと身体をかわした瞬間、買物袋を持つ腕が引っ張られて身体がグッと前に傾ぐ。

「きゃ……っ」
「持つから貸して」
 耳元で聞こえる低い男性の声。
 私が握ったままのスマートフォンを落とさないための配慮か、ご丁寧によろけた私の身体ごと抱える大きくてかたいスーツの胸元。目の前にあるのはどこか見覚えのある濃紺のスーツに光沢のあるグレーのネクタイ。

「信号変わるから行くぞ」
 さっと私の身体を離して、彼は片手で軽々と私の買物袋を持つ。それから空いている方の手で私の手を繋いで交差点を渡り切る。

「お疲れ様」
 交差点を渡り切った場所で、なんの動揺も見せずに彼は言う。
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