叶わぬ恋と分かれども(短編集)


 気を付けて帰るんだよ、あったかくして寝るんだよ、ゆっくり休んでな、と。まるでお母さんみたいなことを言う店長と別れ、自宅アパートに帰って来た。

 真っ暗な部屋に灯りを点け、暖房のスイッチを入れる。
 部屋が温まるまで、まだコートもマフラーも脱げそうにない。身体がぶるっと震え「さむ……」と呟くと、ああ、今年のクリスマスもひとりだったと実感した。

 今朝この部屋を出るときまでは、今日こそ店長にアプローチするぞ! と意気込んでいたというのに。結局私は、一人でこの部屋に戻って来ることになった。


 今頃店長は、崎田さんと会っているだろうか。お互いの部屋まで車で五分で、約束をせずとも頻繁に行き来しているらしいし、店長が崎田さんの部屋に寄った可能性は高い。

 和奏ちゃんもきっと恋について悩んでいる頃だろう。クリスマスにふたりの男性からアプローチされるという最高の出来事を経験した彼女を羨ましいと思う一方で、それを最低な出来事だと悲しくもなる。
 だって和奏ちゃんがどちらかを選べば、選ばれなかったどちらかは失恋する。どちらも選ばなければ、どちらも失恋してしまうのだから。
 その恋の結末を私は絶対に知りたくないと思った。察したくもないと思った。
 店長と崎田さん、和奏ちゃんたちの恋から目を背けて、明日からを過ごそうと思った。


 そうやってしばらく立ち尽くしていても、部屋も身体もなかなか温まらない。

 寒さに拍車をかけたのは、左手に持ったままのココアの缶だ。もらったときはちゃんと温かかったのに、外気にさらされて一時間以上経った今は、もう缶も中身も氷のように冷たかった。

 そういえば……。店長に「ありがとうございます」も「ごちそうさまです」も言い忘れたことに気付いた。たとえ数枚の小銭で買えるものだとしても、奢りは奢り。店長からの労いの気持ちがこもったものだ。しっかりお礼を言うべきだった。次に会ったら、ちゃんと「ごちそうさまでした」と言おう。日にちが経ってしまっても、決して遅くはないはずだ。

 でもこれは店長からの……好きな人からの初めてのプレゼントだ。
 ココアなのだから飲むしかないし、飲み終わって空になった缶は捨てるしかない。でもこれはやっぱり、好きな人からの初めてのプレゼントなのだ。

 まだこれは目に見える形で取っておきたくて、表記されている賞味期限を確認したあとで、冷蔵庫に入れた。この日付けまでは冷蔵庫を開ければいつでも、好きな人からの初めてのプレゼントを見ることができる。……、……、……。


 どうしようもなく、泣きたくなった。開けた冷蔵庫の冷気が肌を刺すからではない。温まりかけた部屋に冷気を加えて、温まるまでの時間を伸ばしてしまったからでもない。
 これを見るたびに、失恋したこの日のことを同時に思い出してしまうことが、もどかしいからだ。

 でも泣くのはまだ早い。泣きたくない。この失恋を、認めたくはない。いつかきっと、気持ちを伝えて良かったと思える日が来る。
 そう何度も言い聞かせて、涙を堪えるように、奥歯を必死に噛み締めた。





(了)
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