God bless you!~第11話「ヒデキとハルミ」
……逃げられないぞ
塾に向かう。
こないだ。
からの、今日。
まだ何も消化し切れていない。
いつもとは違う溜め息が、何度も込み上げた。
コンビニを通り過ぎて。駅の向こう側に出て。
まだ時間があったので本屋に寄って。
そこから次はどこに行こうかと。いつまで、そこら中を彷徨うのかと。
……その先、マックに右川がいた。
見つけてしまった。自分で自分が恨めしい。プリントを前に難しい顔をしている。大急ぎで塾の課題をやっつけているんだろうか。
目が合った。
お互い、今まで1度もやった事の無い慇懃な会釈を交わす。
後ろから来た客に押し出されるように、成り行き上、俺は店に入った。
飲み物を買って彷徨っていると、気のせいか、何度も目が合う。
無視もできないと覚悟して近付くと、観念したのか(?)右川は、割と素直に俺を受け入れた。
店の雰囲気がそうさせたと思う。俺より、隣に座ってるサラリーマンと右川の距離の方が近いから。
と、思っていたら、
「ね、この単語、どういう意味?」
そういう見返りを期待したのか。
目的達成の為なら手段を選ばない。元カレさえも利用する。あっぱれ。
「辞書引けよ」
「えー」
「当たり前だろ。勉強だし」
「うー、間に合わないっ」
そこから勘で埋めようと、もがいている。
「そんなやっつけが通用するとしたら、そこヤバいんじゃないか」
「ハルミちゃんでしょ?キッつい性格してんだよ。原田クンの方がマシだよ。お金いらないし」
早速、愚痴が始まった。
ハルミちゃん、原田クン、アキラも入れて、俺は先生が気の毒で仕方ない。
「それいつも何聞いてんの」
見ると、昔懐かしいCDプレーヤー。うちの親父が何かの景品で、やたら貰って帰る代物だ。俺も弟も相手にしていない。
「ほい」と、イヤフォンを半分渡されて聞いてみた。
笑い声と英会話。
「誰かがディスられてんだよね。周りが笑ってるから、面白いはずなんだけど、一体誰の事言ってんのか全然わかんなくて」
うん。何やら笑ってる。
リスニング・アプリのお陰で、言ってる事は、右川よりは解った。
ディスられているのは、自民党。右川には想像も付かないだろうけど。
その間、右川を見ると、長文読解にはいつになく真剣に向き合っている。
その様子から察するに、意外といい先生についたのかも。
この音声英会話といい、右川に合ってるのかもしれないと思った。
古屋先生の紹介。ちょっと興味が湧く。
「そこって見学できる?」
「ダメに決まってるじゃん。マンツーマンだよ」
来られてたまるか!と脅すようにも見えたが、1対1なら確かに見学は無いかもしれない。
「すごいじゃん。てゆうか、おまえそれ贅沢だぞ」
「てゆうかさ、あんたはあんたで、あっちの塾でしょ」
右川は、イヤフォンを引ったくる。
さっさと行け!という殺気を感じた。当てにならないと分かった途端に、俺は邪魔者扱い。あっぱれを通り越して、いっそ清々しい。
ふと隣に気配を感じた。
見ると、女の人が立っている。
スタイルに思わず見とれた。細身のスーツの……凄い美人。
その美人はにっこりと笑って、
「ところで右川さん、うちはいつから見学やめたっけ?」
ゲッ!と右川が毒付いた。
「確か、あなたも最初は見学でしょう」
美人は仁王立ちに腕組みで構える。右川は脅えるように首を縮めた。
「右川さんの担当講師の浅野ハルミ……ちゃんです。よろしく」
あの赤ペンの。この人が。
とにかく美人。
そして、その圧倒的な存在感で、そこら中の注目を一気に集めている。
化粧も髪型も漂う香水も、折り目の無いグレーのスーツも、何もかも。
特にその眼力。隙が無い。
「彼氏と仲良く、同じ音楽を聴く……懐かしいわね。てゆうか、余裕ね。今の受験生って」
その赤ペン、浅野先生は、
「だって、まだ時間じゃないもん」と訴える右川を強引に立たせた。
「コ、コンプライアンスッ!だ、第三者委員会にっ!」と訴えるチビを引っ張り出す。「ハルミちゃんのコーヒーまだ残ってるじゃん」と来られた時、浅野先生はそれをぐいと飲み干した。
「さ、行きましょうか」
豪快が過ぎる。
俺達は3人で(強引に)店を後にした。
こっちの塾は……今日は辞めた。あんな事の後だし、今日は多分、山下さんも来る。自分には、もう少し時間が欲しかった。
美人講師に誘われた事もあって、これから見学に行く。
ビルの3階。
受付を通ると、机1つの狭いブースに入った。
右川の隣に座る。狭い仕切り部屋の中、距離が縮まった感じで。
マックと違って何だか落ち着かないが、右川はそれどころじゃないという感じでプリントを前にうなっている。「いつものように10分でやってね」と、あの浅野先生に言われたからだ。
見学の受付票のような物を持って来られて、俺が書くよう言われた。
浅野先生は俺の名前を見て、「沢村……」とそこで止まったので、
「ヨウジです」と先回り。
「本当に、右川さんの彼氏くんなの?」と訊かれた。
「違います」
厳しくても、事実は事実だ。
先生は部屋を出て行った。
英文和訳。
これだけの長文、右川のスキルに10分は少々酷かもしれない。
だけど、量をこなしているうちに速さが増す。10分でこれだけやれたら、試験はいけるかもしれない。
右川が隣に居た俺の腕をチョンと叩いた。
見ると、お願い~という顔で問題を指差す。
「ふざけんな甘えんな自分でやれよ」
右川は露骨に嫌な顔した。
「当たり前だろ。俺、見学だぞ」
そして、もう俺は右川に何を言ったり教えたりの資格を持たない。
右川の手は止まったままだ。
「辞書は」
「知らない。食べた事無い。忘れた。生徒会室に」
しょうがねーなと言う感じで、「とりあえず俺が単語の意味を書いてやるから、おまえは同時進行で訳せ」と小声で言った。辞書は……俺のを出す。
書いている途中も、また右川の手が止まる。
止まったところの単語が分からないらしい。
〝satisfied〟
こんな単語も!?と思わず叫びたくなる。
時間配分だけうまくいってもどうにもならない。寒い現実を見た。
程なくして先生は帰ってきた。赤ペンの登場だ。
その課題をちょっと見て、次には何故か、俺に向かって差し出す。
バレた!と思った。
「君さ、これってどう思う?」
睨まれている。確かに目ヂカラが半端ない。
とりあえず宙に浮いてる答案を受け取った。
「どう、と言いますと?」
責めるなら責めてくれ。バッサリやってくれ。不正は不正だ。謝るしか。
「右川さんの実力。ちゃんと和訳できてるかどうかって事」
どうも責められてる感じじゃなかった。
真剣な顔に押されて、分析してみる。
やっぱり3分の2だけ。単語だけは下まで意味が出ている。バレバレだ。筆圧からして違う。右川よりは字も綺麗。意味は大体あってると思った。
ただ……。
「いつもそうなんですけど。こいつって、読みすぎっていうか、足りないっていうか。そこは意訳しすぎと思う所があるかと思えば、この単語の意味分からなくても、そのいつもの妙な意訳センスで想像つかないのかな、と言いたい所も……正直あります」
浅野先生、満足そうに頷くのを見て、安堵した。
よかった。合ってたのかよ。
「それ、聞いてどう。右川さん」
「何か上から目線でエラそーって感じですぅ」と、返した途端、右川は浅野先生に頭をシバかれた。
すこん!と鮮やかに決まる。言われた本人の俺には突っ込む隙が無い。
「痛い痛い痛いっ!暴力だぁぁぁ!せっかく覚えた単語が落ちたっ!」
「受験生が、落ちたとか言わない」
思わず吹き出したら、「君はこっちね」と、俺にも課題が降りてきた。
「辞書引くなよ」と、ウインクで突き付けられる。てゆうか、辞書無くても俺は全然いけます。俺の辞書は……とっくに右川に取られているし。
その後も約2時間、隣では、和訳と赤ペンと罵倒が続いて、俺の見学はそこで終わった。
「この次はAのテストをします。このでる単のAの単語を全部覚えてくるように」と、言われた右川は、飛び上がって、「ええ!?」と叫んだ。
「それ全然面白くない。そのまんま。正直寒い。ひねれ」と、浅野先生に、あっさりかわされる。
……逃げられないぞ。こういう人からは。
右川は、こういう大人が苦手らしい。
自分も、あの年代の大人が苦手だ。というか、見透かされているという負い目があって居心地が悪い。
そこへ、俺のやらされた課題が採点されて戻って来た。
浅野先生は、「優等生らしい回答ね。模範解答の丸写しみたい。ただただ無難。減点する程ではない。ま、いいんじゃない」と何かに印を付ける。
〝impair〟という単語が分からなくて、書けなかった。
これで国立受ける気でいるの?と嫌味を言われるかと思ったけど……ホッと胸を撫で下ろす。
「うわ。怒んないの?沢村」
怒る?「何で」
「遠回しに、くそツマんないって言われちゃってるよ」
「今、キレそう。マジで」
浅野先生が微かに笑ったのを、俺は見逃さなかった。
怖いだけの先生でもなさそう。
俺は見学のお礼を言って、実は通っている塾がある事を白状した。乗り換える意思は無い事も伝える。浅野先生は、特に気分を害した様子も無い。
右川は大量の宿題を貰って、塾を後にした。
帰り道、駅までの道、久しぶりに右川と肩を並べて歩く。スマホを操りながら、「谷戸駅にオヤジが迎えに来るからさ」とか言ってる。
「あの浅野先生って、結婚してるんだな」
最後に塾の案内をもらった時、浅野先生の手に指輪があったと話した。
「今までそんなの付けてなかった!」と、右川は大層驚いて、「仮面夫婦だ。偽装夫婦だ。いや、合コン対策かもしれない」と邪悪な妄想で、浅野先生に対する復讐を叶えている。
「旦那もさ、きっとまともな人間じゃないよ。怪獣なんだよ」
「チンピラ程度じゃ勝てないだろうな」
2人、まるでいつかを懐かしむように、会話が弾んだ。
塾の話、受験の色々、そういった話題はさっさと終わり、毎度おなじみというか、芸能人の話になる。おそらく塾の話になると自動的に勉強がどうのこうのと説教されると思って、右川が自分から避けた……手に取るように分かる自分が哀しい。
「沢村ってさ、石原さとみと長澤まさみ、どっちが好き?」
「長澤」
右川はハッとして、
「そっか、小悪魔より知的美人タイプなんだね」と決めつけた。
「んじゃ、有村と比べたらどっち?」
「有村」
「だよね~」と、何故か手放しの喜びようだった。
聞いていると、右川は、テレビは見ても映画は見ない。マンガは読むけど、本は全く。趣味までも一致しないのかと、正直そろそろ諦めも出てくる。
その後、海川が好みだという巨乳グラビアの話で盛り上がり、それは5組の女子の胸の話にまで発展した。
「修学旅行で見たんだけどさ。ヨリコはでかい」と、右川は言い放ち、「だからアキラはヨリコばかり贔屓にするんだ」と自信満々である。
そういう友達の胸事情を、男子の前で平気で言える事の方に驚く。
「進藤は、間違っても先生をハゲ呼ばわりしないだろ」と、贔屓の根拠をここでは訴えた。
ふと……塾で教えている山下さんの色々。
それをここで話題にしようか、どうしようかと迷って。
ここで山下さんの近況を話題に出す事が、得策なのかどうか。
思いがけず、動揺させてしまうかもしれない。せっかく話題が弾んでいる所に水を差すのも悪いとも思うし。
そうこうしているうちに、駅に着いてしまった。
「携帯、ちょっと貸して」と来たので、言われたまま渡す。
何をするかと思ったら、「海川が一押しの、巨乳ちゃん」と何やら検索して、「はい♪画像をチャージしましたぁ。議長」
「勝手な事すんな。俺の感性が疑われるだろ」
「じゃ、消すよ」
「おう」
と、返事をするまでに幾分……間があった。否定しない。
右川は何かを疑って、チャンスあらばイジリ殺そうとする女子の目だ。
最後に、
「遅くなるから、とっとと帰れよ」
俺は笑い混じりで言って別れた。
くだらない話をしている時間があったらAの単語を覚えろよ……。
と、俺からは1度も出なかった。
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