結婚願望のない男

広い廊下を歩いて、私たちはリビングに通される。

彼の言う通り確かに家の中はやや古く、歩くと床がきしむ感じがした。
けれど、通された部屋はアンティークの高級そうな家具が置かれた、センスの良い洋風の部屋だった。
建物の古さも良い味となって、上質で心地よい空間が完成されている。
どこか、あの『喫茶 さぼてん』にも通じるようなレトロさとお洒落さがあった。


「遥さんは、コーヒーお好きかしら?」

「あ、は、はい」

台所からはコーヒーの良い香りが漂ってくる。カウンターの向こうを見ると本格的なコーヒーメーカーが置かれている。

(プロ仕様な感じのコーヒーメーカー…。山神さんのコーヒー好きはここから来ているのね)

コーヒーを待つ間、私は落ち着かない気持ちで座っていた。つい、きょろきょろと室内を見渡してしまう。

(…それにしても大きなお家。普通の一軒家だと言っていたけれど、どう見てもお屋敷って感じだし、下手したら洋館?みたいな…。もしかして…もしかしなくても、山神さんってけっこうお坊ちゃんなのかな?こんな立派な家、普通の収入じゃ建てられないわよね?)

そんなことを考えていると、彼のお母さんが淹れたてのコーヒーを持ってきて、私たちの前に座った。

「ああ、やっと一つ夢が叶ったわ」

「…夢?」

嬉しそうに眼を細めて私たちを見る母に対し、山神さんが聞き返す。

山神さんのお母さんは、「あなたが連れてきた彼女にコーヒーをふるまうっていう夢よ。大学に入って一人暮らしをはじめてから実家にも全然帰ってこないし、彼女ができたか聞いても教えてくれないし。母さん本当に寂しかったのよ」と言って、少し悲しそうな顔をする。

「べ、別に…息子なんてそんなもんだろ。いちいち彼女ができたとか報告しないって」

「でも、気が付けばあなたはもう28歳。ご近所の息子さんたちはどんどん結婚していくのに、あなただけいつまで経っても音沙汰ないから…私、不安で不安で」

「だからこうして連れてきただろう?遥は…その、まだ付き合ってから三か月くらいだから、結婚とかはまだ先の話だけど…うまくやってるから心配しないで」

山神さんはそう言いながら、お母さんの淹れたコーヒーに口をつけた。エアコンの風に乗って、私のところにまでふわりと香ばしい香りが漂ってくる。

「遥さん、弓弦はあなたにちゃんとかまってくれてる?この子は愛想がないし、私にはたま~~にしか連絡もくれないから、あなたに寂しい思いをさせてないか心配だわ」

「だ、大丈夫です!週末は二人でよく映画を見に行きます!弓弦さんが映画好きなので、私も一緒に行っているうちに習慣になって。あとコーヒーがおいしいカフェも探してきてくれるんです!」

私は打ち合わせの通りに回答する。…ちょっと棒読みになってしまったかもしれない。焦りをごまかすように、私もコーヒーを一口飲んだ。ちょっと苦いけど、専門店で飲むような良い香りがする。きっと良い豆を使っているんだろう。

「まぁ、そう。遥さんもコーヒーを飲むのね、よかったわ。弓弦も今ではすっかりコーヒー好きだし、ふるまい甲斐があるわ。でも、もともとは私がコーヒー好きでね、小さい頃からコーヒーの味を覚えさせようとよく弓弦に飲ませてたんだけど、苦い苦いって言って大学に入るまでコーヒー牛乳しか飲めなかったのよ。一丁前にブラックを飲むようになったのなんて、私にしてみれば最近の話。弓弦がこうして私の淹れたブラックコーヒーを飲んでくれてるの、新鮮だわ」

「え」
私は思わず山神さんの顔を見てしまった。
「か、母さん!余計なことは言わなくていいから!」と、山神さんは顔を赤くして言う。私は思わず笑ってしまった。
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