結婚願望のない男
「もうすぐ降りるけど、いいか?落ち着いたか?」
「あ、も、もちろん…!これ以上山神さんに迷惑はかけられませんから、気にせず降りてください。私はもう大丈夫です、涙も引きました」
「そうか。じゃあ…そこの郵便ポストのあたりで止まってください、先に降ります」
山神さんがタクシーの運転手にそう言って、財布を取り出した。
「ん。これで会計しといて」
万札を一枚渡してくる。
「お、多すぎますよ…。というか、私のせいで乗ることになったんで私が払います!…ちょ、無視しないでください!じゃあせめてワリカン…」
またお金払う払わない問答を始めてしまったけれど、その間にタクシーは郵便ポストを越えて止まった。彼は一万円を私のバッグに無理やり突っ込んで、さっさと車の外に出てしまう。
「ああっ、また!山神さ…」
そして、去り際に振り向いて言った。
「あんた…」
彼は、穏やかに笑っていた。
「危なっかしくて、放っておけないな」
「…えっ」
私は何か言葉を返そうとしたけれど、迷っている間にタクシーのドアが締まり、彼の姿は宵闇に消えていった。
(…山神さん)
タクシーが静かに走り出す。
(ああ、また…優しくしてもらっちゃった)
座席に座り直して、私は山神さんが見ていたように窓の外を眺めた。店舗や住宅の明かりが、前から後ろへと流れては消えていく。
彼はどうしてわざわざ、公園まで来てくれたんだろう。タクシーにも乗せてくれて、励ましてくれて。私に優しくしたって、山神さんには何のメリットもないのに。
さっさと忘れようと思っていたのに。
…ダメだ。
また心に火がついてしまった。