結婚願望のない男

「手、冷たいですね」

「そう?山神さんにタオルをもらって、これでもだいぶ温まったほうだと思うけど──」

「このままじゃ風邪ひいちゃいますよ、温めてあげます」

そう言って、私の手を両手で包むようにして、さすってくる。体もぐっと寄せてきて、私は体を壁に押し付けられた。

「ち、ちょっと、こんなところで、誰かに見られたらどうするの…!」

私は小声で抗議するが、彼は素知らぬ顔だ。

「給湯室なんて滅多に人来ないじゃないですか…。それより、失恋したらもう二度とこんなことできないと思うんで…今はまだ保留中だから、ちょっとぐらいいいですよね?今日の打ち合わせが無事に終わったご褒美も兼ねて」

彼の瞳は子供のようにいたずらっぽく光る。
彼の手を振りほどけないでいると、彼は片方の手を私の腰に回してきて、ぐっと体を密着させた。そして、もう一方の手は私の手をくすぐるように…皮膚の表面をそっとなぞったり、指の間をさすったり…手を温めるというより、愛撫しているような感じで触れてくる。とにかくとても、くすぐったい…。

「こら!調子に乗らないで…!」

「本当に嫌なら突き飛ばすなり何なり、したらどうです…?」

「そこまでするつもりはないけど、ダメなものはダメでしょ…!」

「ふうん…そこまで嫌ってわけじゃないんですね…?」

「…んっ!」

指の間を撫で上げられた時、思わず変な声が出てしまった。私はかっと熱くなった。

「ち、ちょっと!もう本当にダメ!終了!なんで変なふうに触るのよっ!?」

私はさすがに耐え切れなくなって、彼を押しのけた。

「そんなに怒らないでくださいよ。ちゃんと温まったでしょう?」
彼は悪びれもせずに言う。

「あのねぇっ…!」

「…っと、これ以上からかうと本当に怒られそうなので、僕はこの辺で失礼しますね」

そう言って、彼は軽い足取りで給湯室を出て行った。
彼に触れられたのはほんの短い時間…1分も経ってないぐらいだろう。けれど、彼にもらった手の熱がなかなか消えない。
(こ、これがあの…同期クラッシャーと言われたモテ男のアプローチ…!?お、恐るべし…!)
彼には翻弄されてばかりで悔しくなるけれど、でも…こうして彼が甘えるように私をからかってくるのは、不安な気持ちの裏返しなのかもしれない。返事を保留し続けることで、私は彼を傷つけ続けているのかも…。


彼のことを人として好きなことは間違いないし、近くで見つめられたり、手を握られればドキドキする。どんなに優しくても、結婚願望がないと言うどこぞの男より、彼を恋人として好きになれたらきっと私は幸せになれるはずだ──。とはいえ、今もまだ山神さんと話していてドキドキするのもまた事実。
この案件が終わるまであと一か月。いずれにしても、私が本当に異性として好きなのはどちらなのか、心を決めなければいけない。
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