それでも僕らは夢を描く

 いつも明るくて誰にでも優しい、天使のような子だった。
 とりわけ私とは仲が良く、家が近いということもあってよく一緒に遊んでいた。
 だから、彼女が不登校になった時、誰よりも動揺したのは他でもないこの私だった。
 心配になって電話をかけたりメールを送っても、彩月は適当に誤魔化すだけで一向に学校へは顔を見せなかった。
 クラスのみんなで手紙を書いて送ったこともあったし、文化祭のような一大行事の前にはみんなで家まで行って「楽しいからおいで」と言ったこともある。
 でも、ダメだった。
 学校に来ないのは別にいい。もちろん、できることなら来てほしかったけれど、学校に来ないことよりも、学校に来なくなった理由を私は気にしていたのだ。
 だから、悩みがあるのなら聞くと言って何度も電話した。
 直接言いづらいのならメールでいいとも言った。
 けれど、

「迷惑をかけたくないから」

 そう言うばかりで、全く話をしてくれなかった。
 きっと本心なんだろう。仲が良いからこそ迷惑をかけたくない。彼女がそう思っていたことくらい私にでもわかる。
 わかるからこそ、つらかった。
 私はあの子のことを親友だと思っていた。楽しいことだけじゃなく、つらいことや悲しいことも共有できる、そんな仲なのだと。
 苦しんでいるのなら話だけでも聞いてあげたい。役に立てるのなら役に立ちたい。決して迷惑なんかじゃない。
 何度も繰り返しそれを伝える。
 それでも彼女の態度が変わることはなかった。
 次第に、私の中に怒りが芽生えてくる。
 これだけ歩み寄って手を差し伸べているというのに、彩月は私を信じてくれない。それが許せなかった。
 だからつい、彼女にきつくあたってしまった。

「みんなが勉強してる間も家で楽ができていいね」

 怒りに身を任せ、そんな皮肉のこもったメールを送ってしまった。彼女が家で何をしているかなど知りもしないのに。
 一晩眠って冷静になり、私はすぐに後悔した。
 朝一番に慌てて携帯を開き、謝罪のメールを送る。
 一日中携帯を握りしめ、彼女からの返信を待ち続けた。
 けれど、彼女からメールが届くことはなかった。
 大切だったはずなのに。親友だったはずなのに。たった一通のメールでそれが崩壊してしまった。
 後悔した時には、全て終わっていたのだ。
 それ以来、私は自分をどうしようもないクズだと思うようになった。
 漫画家の夢を諦め、友達を失い、進路さえ決められない。挙句の果てには事故に遭って両親に心配までかける始末。
 そんな私が不登校の子を救おうなど、思い違いも甚だしいのではないだろうか。

「後悔、してるんでしょ?」

 ふと、子供に言い聞かせるような優しい声色で、猫ちゃんが囁いた。
 まるで私の心のうちを見透かしたような物言いに、心臓が跳びはねそうになる。
 まさか、私の心を読んでいるのだろうか。

「仮にも神様の使いだよ? 君の過去くらい知ってるし、心も読める。だからこその提案」

 そう言って私の顔をじっと見つめてくる。
 最初に話しかけてきた時のようなお茶目な雰囲気も、ぽんこつさも微塵も感じられない。まさに神様の使いといったような神妙な面持ち。

「すごく後悔してるよ。今でもたまに夢で見るくらい。でも、私に不登校の子を学校に行かせてあげられるとは思えないよ」

「じゃあやめる? 人助けの内容はなんでもいいからね。苦しんでいる少年少女を見捨てて、後悔を払拭するチャンスもみすみす見逃すと言うのなら、他の案を考えてあげるよ」

「う……」

 そう言われると凄く断りづらい。
 確かにこれはチャンスでもある。
 今度こそ不登校の子の救い、前を向かせてあげる。もしそれが成功すればきっとこの胸に絡みつく後悔も随分とマシになるだろう。
 けれど、やはり不安なものは不安なのだ。
 私が関わったところで果たして学校に行かせてあげられるのか……。

「うーん、勘違いしているみたいだけど、ボクは別に学校に通わせろなんて言ってないよ。救ってあげてとは言ったけどね」

 私の思考を読んでいるらしく、言葉を発するまでもなく返答が返ってきた。
 一体何が違うんだろう。救うのも学校に行かせるのも同じことのように思えるけれど。

「全然違うよ。学校に行かせるだけなら縄で縛って引きずればいいからね。大事なのは心の支えだよ」

「心の支え……?」

「そう、心の支え。不登校児っていうのは多かれ少なかれ苦しんでいるんだ。もちろん、中にはただの怠け者もいるけどね」

「じゃあ私は元気が出るように支えてあげればいいの?」

「うん、そういうこと。目的はあくまで心を救うことであって、学校に行かせることじゃないからね」

 ……なるほど。
 不登校の子を救うと言うのだから、てっきり学校に通わせるものだと思っていた。

「じゃあ学校に行かせる必要はないの?」

「うん。学校なんて行かなくても生きていけるからね。救われた上で行かない道を選ぶのならそれはそれでいいと思うよ」

 言われてみればそうかもしれない。
 普通の大人なら、学校くらい行けと声を荒げるだろう。義務教育だからとか、将来困るからとか、そんな理由をつけて。
 もちろんそれが間違いだとは思わない。
 行かないよりかは行った方がいいに決まっている。
 けれど、猫ちゃんはそういった価値観の押し付けではなく、あくまで本人の意思を尊重しているように思える。
 ここにきて、ようやく猫ちゃんの優しさに気が付いた。
 人助けの条件を不登校の子にしたのだって、私にチャンスを与えるためだ。
 ぽんこつかと思っていたけれどそうじゃないらしい。
 ……このチャンスを、無駄にしていいのだろうか。
 いいや、本当はわかっている。ここで逃げてしまえば私はもう取り返しのつかない人間になるのだと。

「ねぇ猫ちゃん。私、上手くやれるかな」

「君と相性のいい子を選んであげるから安心して。あと、猫じゃないからね!」

 よほど猫扱いされるのが嫌なのか、肉球で太ももを叩いてきた。
 その光景がまさに猫だったものだから、思わず笑ってしまう。
 こういうお茶目な面も、きっと私を和ませようとしてやってくれているんだろう。
 私は胸に手を当て、自分自身に問いかける。
 もう一度前に踏み出す覚悟はあるのか、と。
 答えはもう、決まっていた。
「猫ちゃん。私、やるよ。ちゃんとできるかはわからないけど、やれるだけやってみる!」

「それはよかった!」

 猫ちゃんは感心したように言うと、今度は優しく前脚を乗せてきた。労っているつもりらしい。可愛い。
 不安はあるけど、私なりに頑張ってみよう。
 そして、元の体に戻れたらもう一度彩月に謝ろう。

「それじゃ対象の家まで瞬間移動させちゃうけど、心の準備はいいかな?」

「うん!」

 私は覚悟を決め、深く頷いた。
 途端に目眩がして視覚が奪われる。
 あるのは耳に響く蝉の声と、夏の暑さだけ。
 けれど、猫ちゃんが何かを呟いた途端、それも消えてしまった。
 何秒かして目眩が収まり、視界が正常になった時にはもう、私は山にはいなかった。
 日差しもなければ暑さもない。むしろ少し肌寒いくらい。
 確認するまでもなく、ここが屋内なのだとわかった。
 室内を見渡すと、まだ日が高いのにカーテンが閉められ、電気も消されていた。
 タンスに本棚、そしてベッドなど、さまざまな家具が置かれている。しかし可愛らしいデザインのものは一つもなく、ここが男の子の部屋だというのがわかる。
 外からは相変わらず蝉の声が聞こえるけれど、薄暗い部屋が夜を連想させるせいか不思議と煩わしいといった印象は受けない。
 そして、その薄暗い部屋の机に、彼はいた。
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